利休忌 茶会

まさに春の嵐といっていい天候の中、利休を偲んでの茶会を開いた。

千利休の忌日 利休忌としてこの時期、各流派で茶会がひらかれている。

天正十九年二月二十八日、豊臣秀吉の命を受け自死した。

新暦では表千家不審庵は二十七日、裏千家今日庵と藪内燕庵は二十八日に

挙行する。

毎月二十八日には聚光院で三千家が交代で供茶釜をかけ、

各流派でも行っている。

 

利休の肖像又は居士号を掛け、その前に三具足を飾る。

三具足とは仏事に用いる「香炉」「華瓶」「燭台」を指す。

釜は釣釜又は阿弥陀堂釜、国師釜をかける。

花は菜の花を手向ける。

その後七事式を催すのが恒例となっている。

 

「辞世の句」

人生七十 (じんせいしちじゅう)

力囲希咄 (りきいきとつ)

吾這寶剣 (わがこのほうけん)

祖佛共殺 (そぶつともにころす)

堤る我得具足の一太刀 (ひっさぐる わがえぐそくのひとたち)

今此時ぞ天に抛 (いまこのときぞ てんになげうつ)

(訳)

人生七十年

えい!やぁ!とう! (力囲希咄=気合の掛け声)

我がこの手に持つ宝剣を使い

祖仏も我も共に殺してしまえ

上手に使いこなせるこの太刀を引っ下げ

今、この命を天に投げ打つ

 

抛てる茶筌に花の匂ひかな   川上不白

(訳)投げ捨てる茶筅に花の匂いが感じられることだ。

千利休の号である「抛筌斎」をもとにした句。

魚を獲る道具である「筌」をなげうつという意味に由来するが、

茶の湯の必需品である茶筅に転じている。

 

利休忌や いつか地雨の 七事はて   佐々木三味

参考文献:佐々木三味「茶道歳時記」淡交社刊行

 

寄り付きには 「力囲希咄」小野 雲峰

大徳寺派龍興山南宗寺塔頭、本源院住職

(語句説明は前述ご参照を)

 

寄り付き

本床には「利休居士肖像」高安 戒仙

大徳寺五百八世、大徳寺聚光院。昭和四十七年歿九十一歳

 

本床 飾り

「松地紋 撫肩 筒釜」佐藤清光

「古材 炉縁」平安 栄斎

釣釜 炉縁

釣釜とは天井から釣る形の釜を指す。

春になり暖かい陽気になってきたので釜を小さくするが、

春とはいってもまだ寒い。

釣釜にして釜を持ち上げ炭の火がお客様に見えるようにしている。

春の風情、ゆれる軽やかさを茶室で表現しているともされ、

風炉の前の三月に用いられる。

広間では釣釜を鎖で吊るし、小間では竹の自在で吊るす。

 

「桐 旅箪笥」

旅箪笥を組み合わせて使うことが多いのは、千利休豊臣秀吉

小田原攻めに同行したことから始まる。

戦場には茶室がなく、箱形の旅箪笥に茶道具一式を

いれて持ち運び、茶を点てることになった。

しかし、炉で湯を沸かすことができなかったため、穴を掘り火を

おこし、そこに木から吊るした釜を下げて湯をわかした、とされている。

 

「黒 中棗」高村 表恵

 

中△(詳細不詳)茶杓

「銘みせばや 花をのみ待つらん 

          人に山里の雪間の草の春を見せばや」

壬二集・六百番歌合・藤原家隆

「まだ花が咲かない、春が来ない」と待っているだろう人に、

山里に積った雪のあいだ、わずかに芽吹いた若草に

訪れた春を見せてあげたい」

 

水指 「光琳 水指」尾形 乾女

日本画家、陶芸家。六世乾山の娘。女性は窯場に入る事は許されず

還暦を過ぎてから陶芸を始める。幼少より日本画を学び、

後に堅山南風に師事。

晩年鎌倉で陶芸活動をはじめ、自らを乾女と名乗る。

七世を襲名せず六世の完結を宣する。平成九年歿九十八歳浅草生鎌倉住

水指

 

「色絵桜花画茶碗」三代 杉田 祥平

清閑寺焼、色絵、交趾、染付、京都伝統陶芸家協会役員、大正三年京都生

華やかで品の良い作品には愛好家が多い。

色絵桜花画 茶碗

 

「長次郎 鉢開写 黒 茶碗」三代 佐々木 昭楽

 父松楽に師事、茶道具専門に製作、祖父の代より楽焼に従事。

 京都清水阪に築窯のち亀岡矢田神社の畔に移住、出口王仁三郎

 小田雪窓の知遇を得、再び開窯。昭和十九年京都生

長次郎 鉢開写 黒 茶碗

 

「志野 茶碗」松本 鉄山

 瀬戸安右衛門窯窯元。山口錠鉄の次男、母方の窯を継ぎ瀬戸で作陶。

志野 茶碗

「桜 茶碗」山岡 善昇

 

山善次郎にて十年間修業、昭和四十四年 山岡陶画苑として独立。

師匠より 善昇(昇)の号を受る。

淡交ビエンナーレ茶道美術公募展入選受賞。昭和十七年三重生

 

桜 茶碗

 

唐津 絵粉引 鉢」十三代 太郎右衛門窯

 唐津藩の御用窯として伝統を受け継ぎ、古唐津を復興させ、

 人間国宝として認められた十三代太郎右衛門の窯。

唐津 絵粉引 鉢」十三代 太郎右衛門窯

主菓子

「利久饅頭」

 我々には 利休の文字を頂くには恐れ多いので、利久と。

 今木屋 特製

 

干菓子は「松崎煎餅」蝶 を「欅 高坏」に。

 蝶は 仏教ではあの世とこの世をいきかう、輪廻転生の

 シンボルとして仏具にも用いられてきた。

 復活、長寿などの縁起ものとしても、この日にふさわしく感じた。

 

干菓子

 

ここ数日の陽気で一気に桜が開花した。

来月はすでに初夏になろうか。

日本固有の繊細な季節の移り変わりが 感じられにくくなってきたのは

残念である。

せめて茶の世界では大切に受け継いでもらいたいと願ってやまない。

二月 梅が香の茶会

三寒四温というには気温差が激しいこの頃、

梅も桜にその座を明け渡さんとする、名残り惜しさをこめて。

 

寄付

大田垣 蓮月「春雪」

ふる雪も あはにむすべる いとやなぎ かずみるままに とけわたるなり

総丈146×26.5

八十五歳最晩年の歌・神光院主徳田光圓箱書(京都西賀茂の真言宗放光山神光院

住職、神光院は幕末の歌人で、南画家富岡鉄斎を育成したことで知られる蓮月尼が

晩年を過ごした所。)

 

寄付から本床へ

本床へ

本床

十三代武者小路千家 有隣斎

別号/宗守/徳翁/宗安

「和氣萬家春」

総丈177×32

「わきばんかのはる」 春の一日、のどかな陽気や和やかな風がどの家にも

溢れている。

財団法人官休庵設立、千茶道文化学院創立。平成十一年歿八十七歳

本床

 

「高取焼 福雀 香合」

十三代 亀井 味楽(造)機叟(箱書)

高取焼窯元。十一代高取久助寿泉長男。藩の保護がなくなった高取焼を味楽窯の

当主として守る。茶陶の造詣も深い。昭和十九年技術保存者。昭和三十一年歿七十三歳

 

鳩居堂「梅が香」

 

「福良雀」「福来雀」ともいわれる。

冬の寒さをしのぐために羽をふくらませた丸々とした姿は、豊かさを象徴する縁起物

とされてをついばむ」きた。雀自体も、「厄をついばむ」の意味があり、一族繁栄や

家内安全の象徴でもある。

地元でも農地が減って、最近目にすることが少なくなってきたのがさみしい。

香合

 

花;白梅、侘助

花入;「備前 一輪入」中村 六郎

味のある作品が多く、もっと評価されてもよいと感じている。

六郎窯。昭和二十年金重陶陽に師事、大正三年伊部生平成十六年歿

 

園城寺 釜」菊地 政光

姥口、土筆鐶付、撫肩、尻張を特徴とする丈の低い釜を指す。

肩に「園城寺」の三文字を鋳出し、胴は霰文をあしらう。

かつて松平不昧公が所持した芦屋釜の名品が有名で、現在東京国立博物館所蔵と

なっている。

もともと北九州博多でつくられていたが、守護する人がいなくなり、関西へ渡った

とされている。

つるっとした柔らかい肌が特徴。

「海松浪蒔絵 炉縁」岡本 陽斎

漆芸家。茶道具を中心に製作。京都在住で工房は石川県中山町。昭和七年京都生

和食はもとより、茶道具に漆器は欠かせない。

この度の震災で多くの担い手が被災されてしまわれた。

手に取って、その得難い魅力、存在を知って頂きたいと強く思う。

海松とは ミル科に属する海藻の一種で、ミル貝とは別種のもの。

文様として 装束に用いられたほか、食用、保存食や薬としても活用された。

名は「見る」にかけられ、古く万葉集の時代から歌に詠まれてきた。

釜、炉縁、水指

「雪輪 棗」福久 清一

 輪島塗 作家

 

冬に積もった雪は春、雪解け水となり、野山の草花をはぐくみ

さらに秋の実りをもたらすことから、五穀の精といわれており、

その年が豊作となる吉祥の象徴とされてきた。

雪輪文が登場するのは近世以降とされている。

ルーペなどない時代、雪の結晶をよく形であらわしたものだと感心してしまう。

情景を絵画的に表現した「雪景文」

そこから雪の積もった植物のみを描き出した「雪持ち文」

さらに雪だけが独立して「雪輪文」となった。

冬の情景を表すのみならず、江戸時代、庶民の小袖に涼しさを演出するために

描かれたり、「雪輪どり」という柄の構図の境界線にも用いられたりしている。

文様の世界は奥深く楽しい。

 

「乾山意 蓋置」中村 東洸

別号/加藤庵 

粟生屋六世。

 

備前 茶入」小泉 又楽庵

茶入

 

信楽 破レ袋 水指」四代 高橋 楽斎

楽斎窯、滋賀県無形文化財信楽名工

水指

水指 後側

「乾山意 蓋置」中村 東洸

蓋置

茶杓 「銘 こぼれ梅」

 

エフゴ建水

 

濃茶碗  「銘 草萌 黒 茶碗」大野 桂山(造)小林 太玄

臨済宗紫野大徳寺塔頭黄梅院 花押箱書)

草萌 黒茶盌



「長次郎写 風折 筒 茶碗」佐々木 昭楽

父松楽に師事、茶道具専門に製作、祖父の代より楽焼に従事。京都清水阪に築窯

のち亀岡矢田神社の畔に移住、出口王仁三郎、小田雪窓の知遇を得、再び開窯。

昭和十九年京都生

筒茶碗

薄茶茶碗;「志野 茶碗」佐藤 重造

 

主菓子;「あわ雪 純白/桃花」  

「牡丹唐草紋 古染付皿」へ

一枚一枚文様と色の濃さが異なる、天然の虫喰の味わいと、

あわい白と桃色とのコントラストに趣があった。

 

主菓子

干菓子;「万葉の花」諸江屋  真塗 四方盆に

落雁ははじめて頂いた。まるで主菓子のよう。

干菓子

三月は 月末の予定、

どうのような趣向となりましょう。

季節の変わり目 皆様ご自愛下さい。

 

初釜

初釜の茶会を予定しておりましたが中止となりました。

準備していた道具類をご紹介いたします。

お軸はどれかぎりぎりまで悩んでおりましたので割愛いたしました。

水指などは皆具を考えておりました。

 

香合 「黄瀬戸 福禄寿 香合」

江戸末頃の作品です。

香合

もうひとつの候補

「景泰藍 鳳凰図 香合」

鳳凰図 香合

釜「刷毛目 姥口釜」三代 畠 春斎

高台寺蒔絵 炉縁」

炉縁

「中興名物 模 富士山 唐物肩衝 茶入」笹田 有祥

【仕覆】鎌倉間道

茶入

「老松 日の出 棗」田中 宗凌

加賀蒔絵師、中村宗尹に師事、棗の蒔絵に長ず。山中生

 

日の出 棗

「竹蒔絵 竹切 棗」井口 幸甫

蒔絵師。師吉田華正。日本工芸会石川支部。昭和二十九年石川生

竹切 棗

「長次郎写 風折 筒 茶碗」佐々木 昭楽

こちらは二月にようやく使えたのでそちらをご覧下さい。

 

「陶漆 朱ぼかし塗 花扇(松 竹 梅)蒔絵 茶碗」三代 前端 春斎

花扇 茶碗

「色絵瓔珞文 茶碗」藤谷 芳山

京焼 茶碗

「松の絵 蓋置」福森 阿也

蓋置

狂言袴 喰籠」祥雲窯 原 清和

ここに花びら餅のうっすら桃色が良く映えたはずでした。

喰籠

茶杓は 「銘 瑞雲 油竹 茶杓」戸上 明道(筒書花押)奥田 宗春(下削)

    「銘 阿けぼの 白竹 茶杓

     小田 雪窓 宗甫(箱書花押)小堀 定泰(筒書花押)

 

 

口切の茶会

穏やかな陽気のもと、口切の茶会を開きました。

開炉とあって、いつもより緊張感が感じられます。

 

寄り付きには

「口切りや足阿これもふくべなり 冨久邉 画賛」

十代 裏千家 柏叟宗室 認得斎

江戸末の茶人、九代 裏千家 千宗室の長男にあたります。

瓢炭斗を添えて

寄り付き

本床には

石州流 十五代宗家 片桐 貞泰の「壷中日月長」

こちゅうじつげつながし

後漢書に収録された逸話によるもの。

壷の中は転じて時空を超越した心の別天地を指すとされ、

日常の中でも心の持ち方ひとつで、そのまま壺中であり、

仙境であり、悟りの妙処となることを示している、

とされています。

 

備前 一輪入」中村 六郎

六郎窯 金重陶陽に師事。

裏千家スタッフが丹精した 嵯峨菊と 南天の紅葉を。

嵯峨菊は古典菊のひとつで、ちょうど今頃に見頃を迎えるとされており、

名の由来は、嵯峨天皇の時代、京都嵯峨野大覚寺周辺に自生していた菊に

あたることから、とされています。

開炉に欠かせない、茶壺

織部 香合」加藤 光右衛門

本床

「繰口 丸釜」十二代 和田 美之助

高台寺蒔絵 炉縁」が華やぎを与えてくれます。

釜 炉縁

「時代 紅葉蒔絵 黒柿 中棗」

内側の黒柿の色合いが美しいです。

黒柿 中棗

「銘 紅葉狩 茶杓

藤井 誡堂(筒箱書花押)高野 宗陵(造)

 

織部 水指」

十三代 竹中 紹智(箱書)

藪内流 十三代家元 青々斎竹中紹智を襲名、

還暦後 竹仲とあらためられました。

山口 茂(造)初代 山口錠鉄子息、兄は二代錠鉄、

子息も陶芸家の重信氏。織部写しを得意とします。

水指

「黒織部 茶碗」佐治 光太郎

織部 茶碗

「彩色竜田川 茶碗」澤村陶哉

「紅葉 茶碗」

備前 茶碗」陶朋 

この時期になると やはり厚手の茶碗が手に心地よいです。

「青竹蓋置」

「エフゴ 建水」

 

「吹寄四方足付 菓子器」梅山 

九谷焼の まさに錦秋の菓子器といえましょう。

正客の向いで撮らせてもらいました。

主菓子はもちろん亥の子餅。

今木屋さんがつくりたてを届けて下さいました。

柔らかく美味しいこと!

吹寄四方足付 菓子器

亥の子餅

さらに 裏千家スタッフ自家製 特性「善哉餅」

「菊蒔絵 吸物椀」によそって、柴漬胡瓜漬を添えて

「利休形 折敷 四方 盆」にて皆様に。

善哉

小豆はおめでたい時に頂き、魔よけにもよい、といわれています。

 

「箕」に「巨峰寒天」津山屋と「柚子皮」を

秋の恵みを届けます。

干菓子

来月はおやすみとなります。

年明け また皆さんと集えるのを心待ちにしております。

さて、どうのようなお道具がそろいましょうか。

 

 

 

 

今回は各流派のお道具や書画が

十三夜の茶会

長らく間があいてしまいましたが、折しも十三夜の日に茶会を開きました。

寄り付きには 

大田垣 蓮月

「閑居月 外にくまなすものもなし 月さしいる淺茅生の宿」

孝眞 「秋草蒔絵 硯箱」

寄り付き

秋草蒔絵 硯箱

 

 本床

十三夜の月にちなんだ作品を。

 

お供えのお団子も 十三夜にちなんで 十三個。

積み上げ方も作法があります。

今木屋さんのつくりたてで、柔らかく、天には月の黄色いお団子。

 

香合 「萬古焼 兎 香合」機叟(箱書)佐久間 芳嶙(造)と

「竹手付 唐物 花籠」には 

萩(みやぎ野萩、江戸しぼり)芒、吾亦紅、紫式部、白式部、金糸梅、野地菊の

七草を。

本床

 

釜「浜松文 尾垂 富士 釜」を

この時期ならではの「荒磯 鉄風炉(やつれ風炉)」へ。

横河三五郎(造)十二代宮崎寒雉(鑑箱書)

風格が感じられます。

釜と風炉

やつれ風炉

「焼金桔梗蒔絵 螺鈿添 中棗」

桔梗蒔絵 中棗

「清月 茶杓」東山 大山

「唐銅 一閑人」蓋置

「蕎麦釉 茶碗」青木 木米

木米 茶碗

「銘 神光 茶碗」十三世 表千家即中斎(書)神路山焼(造)

私共店頭で、一目見て気に入ったという初参加の方。

憧れのお茶碗での一服はいかがでしたでしょうか。

神光 茶碗

「妹塗 漆桶形 建水」岡本漆園(漆専堂)

漆専堂ならではの つややかな光沢。

建水

 

水指は 箱書あれども 不詳。

形も肌も美しい 信楽の水指

信楽 水指

 

主菓子

「焼〆 半月 皿 六客」大迫 みきお作、に

今木屋さんの お月見団子を合わせると、

夕闇に明るく照らされた月が そこに。

 

「真塗 秋月 菓子器」と「秋色七草」赤坂柿山」

これ以上ない見事な組み合わせ、と自賛しきり、絶賛しきり。

 

秋月 菓子器

干菓子

十三夜の今夜、お見送りに外へ出ると、煌々としたお月様が。

次回は早くも 開炉となります。

献氷の茶会

梅雨明け前にすでに猛暑の週を迎えて、献氷の茶会を

開いた。

献氷の儀式は氷の朔日(ついたち)ともいう。

陰暦の六月一日に、氷室の貢ぎとして、氷餅を宮中や

幕府に献上したのが由来とされている。

掻餅やあられを供えて食すと厄除けになるという説も

ある。

最初に氷が献上されたのは六百十二年仁德天皇の時代とされ、

額田の皇子が

闘鶏野(つけの、現在の大阪府高槻付近)で氷室を発見し、

それを献上した。

鎌倉時代には富士山の雪が鎌倉に運ばれた。

日本で人造製氷に成功するのは明治十六年を待たねば

ならなかった。

 

寄付には 店主お気に入りの松本 交山の「つけ㐂」を。

 

別号/次郎吉/景文/大機/文右衛門

文晁、抱一に師事、江戸深川八幡境内の茶屋の主人、

画・俳諧を修め法眼に叙せられる。

慶応二年歿八十三歳江戸深川生

つけぎとは、

ひのき,松,杉など薄く削り,一定の長さと幅にそろえ

一方の端に硫黄をつけ,七~八十枚から 百枚をひと束とし

江戸時代から江戸,大坂で盛んに売られた。

火口 や炭火などから灯火などに火を移すのに使った。

付木はイオウギともよばれ、「祝う」に通じ、魔除け、

贈り物の返礼、引っ越しの挨拶などに贈る風習があった。

 

 

折しも今日は店主の誕生日、仲間の前厄払い、

半年経た厄払いも兼ねてこの軸を選んだ次第。

 

寄付

毎年この時期の茶会は、名水ものになると趣向が凝ることに。

すくすくと育っている、店頭の蓮の葉に、氷を乗せると、

すこしずつ溶けた水が葉にはじかれ、底にたまるのだが、

それが氷のようにみえて、さらに涼を呼んでくれる。

 

「春慶塗 手桶 水指」に水を汲み、

「鶴首 釜」「小型 唐銅 鬼面 風炉」で揃える。

本床

「清流無間断」足立 泰道を本床に。

別号/宗誠

臨済宗大徳寺派、兵庫豊岡瑞龍山雲澤禅寺住職、昭和十二年生

この方の書は人気が高い。

せいりゅうかんだんなし-清らかな流れは絶えることなく流れ、

青々とした木は季節を超えて葉を枯すことなく、

一瞬の中にある自然の永遠をさす。

不断の努力が大きな実りをもたらすという教え。

 

本床 軸

花は 同じく店で育てている睡蓮を 

備前 擂鉢」堀江 祥山 水盤にみたてて。

白い可憐な花で毎朝出迎えてくれる。

 

香合は「団扇 葦蒔絵 香合」中林星山

こちらは涼風を運んでくれるもの。

漆芸、越前蒔絵師。夫箕輪一星に師事。日芸展会員。

茶道具蒔絵専門。昭和二十六年生福井県鯖江

香合

「銘 那智 竹 茶杓

小田 雪窓 (箱書)小堀 定泰(造筒書)

那智の滝を思い浮かべて。

 

信楽 建水」三代 森岡 嘉祥

嘉祥窯は京都清水で四代に渡り、茶道具や器を創作する窯元。

二代嘉祥に師事、茶陶屈指。平成二十一年歿七十二歳京都生

建水

「蝋形鋳造 蟹 蓋置」黒川 哲匠

置物としても美しいが、とても使いやすい考えられた蓋置であった。

高岡の作家、建水、火箸、茶室の釘等、茶道具、花器の制作を研鑽中、

昭和三十六年高岡生

蓋置

茶入は肩に小さな注ぎ口がある「曜変 四滴 茶入」浅見 与し三

初代与し三は、大正元年 二代五郎助の次男より分家し、

五条坂にて開窯。大徳寺塔頭瑞峯院 前田昌道老師より

「吉峯窯」の窯名を賜る。

現在は四代目 (画像 左奥)

曜変 四滴茶入

白磁 めだか 平茶碗」二代目 助田 麗嘉

白磁の中に淡いめだかが泳いでいる。

 

めだか 平茶碗

唐津 茶碗」御茶碗窯、人間国宝 十二代 中里太郎右衛門

 

唐津 茶碗

「瀬戸 唐津 なぎさ 茶碗」加藤 春鼎

別号/春倫

鼎窯窯元、日本工芸会正会員。若い陶芸家の育成にも努め「鼎窯会」を主宰する。

昭和二年瀬戸生

なぎさ 茶碗

「粉引手 茶碗」尾形 周平

京焼の名工。初代は仁阿弥道八の弟。

尾形光琳、乾山に私淑し尾形姓を名乗る。

五代目が平成十一年に没す

こちらを今回 主菓子に。

店主の祝いに、と用意してもらったのは

「御蒸物 お目出糖」

元禄年間創製されたと伝えられる高麗餅は江戸時代より

親しまれてきた。

元禄より家伝の高麗餅仕様書により製造している。
明治中頃に赤飯様の見た目より「御目出糖」と命名

御祝儀菓子としての意匠と共に

大方の御推奨を賜り百年以上になる銘菓。

 

主菓子

干菓子は この時期ならでは、「琥珀糖」高野屋貞広

「ほたてバター」赤坂柿山

水のもの、鮑の貝殻に。

鮑の貝殻は大変丈夫でハンマーで叩き割ろうとしても簡単には

割れないほどであり、

構造をヒントに割れにくい丈夫なセラミックの開発が進められて

いるそうだ。

裏側には非常に美しい真珠の光沢があり、ごく薄く

切り出したものを螺鈿細工などの工芸材料に用いている。

また、鮑玉と呼ばれる天然真珠を作り出すことに着目し、

殻の真珠層を利用して真珠の養殖に使われることもあると

されている。

 

鮑の菓子器

次回は九月頃に集うことになりそうだが、秋は道具選びがより楽しみに。

皆様ごどうぞ自愛ください。

初風炉の茶会

薫風-風炉の時期到来となったものの、すぐ梅雨入りも追いかけてきてしまった。

寄り付きには 「枇杷」柴田 是真

色紙を軸装にした作品。

蒔絵を阪内寛哉に学ぶ。画は鈴木南嶺の門。

後京都で岡本豊彦に付き研鑽し、画風一格を成す。近代の名手。

 

寄り付き

枇杷

本床お軸

「青山元不動 白雲自去来」謙宗 景雲

臨済宗円覚寺派瑞泉寺

 

せいざんもとうごかず はくうんおのずからきょらいす

万縁万境-周囲のいろいろな現象に心をとらわれて右往左往することなく、山のように少しも動ずることなく、泰然としてわが道を貫き通せ という

ー迷える者にはすっと入り込む。

 

本床

「瓢 手付花入籠」初代 池田 瓢阿

 

竹工芸師、三井物産の数寄者益田鈍翁より「瓢阿」の号を賜わる、

また「大正名器鑑」を編んだ高橋箒庵らと親交があった。

明治十四年和歌山生昭和八年歿五十四歳

 

この見事な籠には 咲き始めた鉄線、紫蘭、山法師を。

堆朱彫 香合

香合

雲龍釜」三代 原 晃悦

 二代 大国籐兵衛に師事

「古銅 四方風炉

 朽木 綱貞珍蔵 玉庵箱書珍蔵と書有。玉庵箱書

雲龍

古銅 四方風炉

「染付近江八景 芋頭 水指」淡海せ々 陽炎園(岩崎 新定)蒔絵師

水指

釜と水指

「輪島塗 竹 沈金 棗」蒔絵師 坂下 雄峰

茶杓「銘 若芽 竹 茶杓」吉口 桂堂(筒書花押)

臨済宗紫野大徳寺塔頭瑞峯院五百九世。

茶杓

 

蓋置 十二代 堀内 宗完(花押)「青楓 染付 蓋置」

薫風にふさわしいすっきりした姿色合いです。

表千家流堀内家、不審庵理事、平成九年宗完の名を兄の長男にゆずり、

宗心を名のる。

蓋置

人間国宝 十二代 中里 太郎右衛門「唐津 茶碗」

唐津 茶碗

南口 閑粋「乾山 青楓 茶碗」

杣山窯。初代宮川香雲、十六代善五郎に師事。杣山焼を再興する。

昭和三十三年大阪生

青楓 茶碗

不昧好「若草」彩雲堂製を

「不二見焼 籠 菓子器」村瀬 四郎に

不昧公お好み三大銘菓は

春の「若草」、秋の「山川」、そして「菜種の里」

松江を代表される銘菓内、「若草」を 彩雲堂初代が復活させる。

主菓子

 

干菓子

 「ガネーシャ」若狭屋久茂製

スパイスの香りがきいたお干菓子です。

 

干菓子の包み

年々雨が激しくなりますが、皆様お気をつけてお過ごしくださいますよう。