蓮よりおすすめ2・鍾馗像のこと

「唐銅 鍾馗像」91304527  状態並

河鍋 暁斎鍾馗)「鍾馗図 合作」91302596 350,000円 
中央暁斎鍾馗図・廻りに千種掃雲書、△玉鬼図、佐竹永湖鯉図、華堂書、松之門三艸子和歌、四代近藤金羅句、飯島光峨柏餅図・紙本・淡彩・状態良(オレ少々)一文字金襴・廻し緞子・牙軸・合箱
国芳、洞白に学ぶ。特に戯画をよくした奇人画家。明治二十二年歿五十九歳下総古河生

鍾馗(しょうき)は、主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神。日本では、疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したりする。また、鍾馗の図像は魔よけの効験があるとされ、旗、屏風、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする。
鍾馗の図像は必ず長い髭を蓄え、中国の官人の衣装を着て剣を持ち、大きな眼で何かを睨みつけている姿である。

鍾馗の縁起については諸説あるが、もともとは中国の唐代に実在した人物だとする以下の説話が流布している[1]。

ある時、唐の6代皇帝玄宗が瘧(おこり、マラリア)にかかり床に伏せた。

玄宗は高熱のなかで夢を見る。宮廷内で小鬼が悪戯をしてまわるが、どこからともなく大鬼が現れて、小鬼を難なく捕らえて食べてしまう。玄宗が大鬼に正体を尋ねると、「自分は終南県出身の鍾馗。武徳年間(618年-626年)に官吏になるため科挙を受験したが落第し、そのことを恥じて宮中で自殺した。だが高祖皇帝は自分を手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるためにやってきた」と告げた。

夢から覚めた玄宗は、病気が治っていることに気付く。感じ入った玄宗は著名な画家の呉道玄に命じ、鍾馗の絵姿を描かせた。その絵は、玄宗が夢で見たそのままの姿だった。
この伝説はやがて一般に広まり、17世紀の明代末期から清代初期になると端午の節句に厄除けとして鍾馗図を家々に飾る風習が生まれた

 日本では、江戸時代末(19世紀)ごろから関東で鍾馗五月人形にしたり、近畿で魔除けとして鍾馗像を屋根に置く風習が見られるようになった。
京都市内の民家(京町家)など近畿〜中部地方では、現在でも大屋根や小屋根の軒先に10〜20cm大の瓦製の鍾馗の人形が置いてあるのを見かけることができる。これは、昔京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ向かいの家の住人が突如原因不明の病に倒れ、これを薬屋の鬼瓦に跳ね返った悪いものが向かいの家に入ったのが原因と考え、鬼より強い鍾馗を作らせて魔除けに据えたところ住人の病が完治したのが謂れとされる。
(引用wikipediaより:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%BE%E9%A6%97


「唐銅 鍾馗像」91304527 25,000円 状態並

作者は不詳ですが逞しい鍾馗の表情をたたえています。


こどもの日、端午の節句といいますとかわいらしい金太郎や鯉のぼりのイメージですが、
男児が伸びやかにたくましく生きていける様にとの願いを込めたルーツはやはり大陸、中国・清の頃にあったのですね。
意外にもすごく古くからあるという訳でも無いところも、3月の節句と共通な所ですね。
科挙」の重さは現代に比べても計れない物でしょうが、人生を決める一大事であったのでしょう。

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