博多 聖福寺を訪ねて

博多は、京都に次いで禅寺が多いといわれています。
ご存知の通り、中国から南宗の時代、日本に禅宗が伝来し日本的な宗教として支持を集めました。
当時の博多は中国などの他国との貿易の拠点でありました。今回はそんな博多にある、日本で一番古い禅寺「聖福寺」を訪ねてみました。

博多駅から歩いて少し、1100年代前後に創建された禅寺が立ち並ぶ「博多千年門」通りがあります。
その通りを少し離れると、聖福寺につきます。


建久6年(1195年)に日本の臨済宗の開祖、明庵栄西南宋から帰国後に、宋の人が建立した博多の百堂の跡に寺院を創建しました。これが日本最初の禅寺であり、禅道場「聖福寺」です。

……が、門をくぐると入山心得に「写真撮影禁止」と!
…ショックを受けつつもここからは文章で記事にします。

聖福寺は当時の最先端の日中文化交流の拠点だったそうで、日本茶道文化の源流でもあります。
現在日本で飲まれている茶は、1191年栄西禅師が、南宗より持ち帰り、佐賀県吉野ヶ里の「背振山霊仙寺石上坊」の前庭で栽培したのが始まりとされ、その後聖福寺境内に植え、栽培されました。同時に宋風の喫茶も伝え『喫茶養生記』を著して 茶文化の先導的な役割を果たしています。
また、鎌倉幕府の外交上の役所のような役割でもあり、来日した使節聖福寺に宿泊していたそうです。


塀の外から見える境内の風景です。写真左手が山門です。
山門には後鳥羽天皇により贈られた日本初の禅寺であるお墨付き「扶桑最初禅窟」の額があります。
寺院全体が国定史跡で、朝鮮鐘を含め4点の重文、日本茶発祥の「茶の木」などがあります。

博多塀と言って、豊臣秀吉が進めた博多町割(戦災復興)を語り継ぐ、歴史的な塀です。デザインがかわいいですね。戦火による焼け石焼け瓦等を塗り込めた、いわば廃材活用のリサイクル土塀だそうです。

栄西聖人と言えば、今年東京国立博物館で開催された「栄西建仁寺」展が記憶に新しいです。
以前拝聴した「栄西建仁寺」展学芸員の方のトークによると、栄西は2度中国にわたっているそうです。

『大げさ』という言葉がありますがこれはお坊さんの袈裟が由来だそうです。
大袈裟は、当時日本では着ている人のあまりいない中国の袈裟だったそうです。
中国の禅の作法をしっかり取り入れる栄西が、九州にいる時に大袈裟を着始めたのだそうです。
栄西禅師は思想・文化において常に最新のものを取り入れる流行にも敏感な最先端の方でした。

聖福寺では今でも『四頭茶会』が開かれています。
四頭茶会とは、現在の茶道の原型とも言える日本最古の茶法です。
天目茶碗を客に配り目の前で茶を立てるのだそうです。

聖福寺について調べていると歴代の住持の方々もとてもおもしろい方が多かったようです。
特に江戸時代の文化・文政期の、仙がい義梵の名で知られる仙崖義梵和尚。聖福寺住持を20年務め、文人の間に聖福寺知名度を上げたそうです。博多の地元の人にも今でも親しまれている和尚さんです。
多くの洒脱・飄逸な禅画を残し、東京の出光美術館は仙突の絵のコレクションで知られています。「◯△□図 」(出光美術館) 「指月布袋図」 (出光美術館)が有名ですね。
出光の仙崖和尚のコレクションは国内最大の約1000件にのぼります。
http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/introduction/sengai/index.html
出光美術館は東京と福岡にあります。(石油の出光興産さんはもとは福岡の油屋さんでした。)
来年4月福岡出光美術館で仙崖和尚の展覧会があるそうです。

聖福寺は通常は一般公開を行っておらず、行事等がある時に公開される場所があります。
ご参拝時などはご注意ください。

臨済宗妙心寺派 聖福寺
福岡県福岡市博多区御供所町6-1
http://www.shofukuji.or.jp/index.html

さて 今回のお品紹介です。

作家名:仰木 魯堂
作品名:「芥子」
総丈:219×54.3 cm
内寸:129×41 cm
詳細:絹本・水墨金泥・状態並(ノリシミ少々、胡粉剥落極少)一文字金襴・中廻緞子・上下袿・合箱
商品番号:90416143

茶人・数寄屋建築家。茶道・建築の専門家として鈍翁・箒庵・耳庵・聴雨・三渓らと交流を持ち、多くの建築や作庭を手がける。団琢磨との関わりが深く、団家の普請奉行と言われた。昭和十六年歿七十八歳、福岡生まれ。


作家名:中川 宋淵
作品名:「雲無心」
総丈:185×38.8 cm
内寸:104×36.3 cm
詳細:紙本・状態並(ノリシミ少々、墨ヨゴレ極少、ソリ少々)一文字金襴・中廻緞子・上下袿(表具裂両縁水シミ跡薄く有)合箱
商品番号:91507135

「雲無心にして岫(しゅう)を出(い)ず」《陶淵明「帰去来辞」から。「岫」は山の洞穴の意》
何事にも束縛されず、自然に従って悠々と生活すること。
中川 宋淵は、禅僧、俳人臨済宗三島妙心寺派円通山龍沢寺十世、アメリカを巡錫して禅を能く宣揚した。また飯田蛇笏の「雲母」に入り生涯を句境禅心のなかに過ごす。昭和五十九年歿山口岩国生。


作家名:玄外 宗訥
作品名:「関〜」
総丈:186×44 cm
内寸:125×30.3 cm
詳細:紙本・状態並(ヤケ少々、シミ点少々、オレ少々)揉紙表装・合箱
商品番号:91503591

大徳寺四百八十七世、三樂、興徳、後に臨済宗博多崇福寺九十七世となる。昭和三年歿七十二歳福岡生まれ。

掲載商品のお問い合わせはお電話、メール、ファックスにてお待ちしております。
メールでのお問い合わせはこちらからどうぞ。