2018年04月27日のつぶやき

ようやく爽やかな風を感じられる様になりました。
今年の春は天候不順で 体調を崩された方が多かった様に見受けられます。
そんなもやもやを吹き飛ばすべく、*端午の節句のお茶会を開きました。
今回から風炉となります。
お軸本床には 本居 宣長「待郭公 」
つれなきも はつねののちは ほととぎす まつに たのみの ありあけのそら 
お花は 立派なあやめです。
花器 「手捻 小柴垣 花器」木三(詳細不詳)はあやめにぴったりの組み合わせですが、
いけるのに四苦八苦いたしました。
脇のぼんぼりで 雰囲気は上々なのですが、いかに?

雅風「烏帽子 香合」と紙釜敷の 白、朱、黒の色合いもぴったりでした。
伊川敬三「輪島 菖蒲蒔絵棗」は彩りを添えてくれました。


後先になりましたが、寄付には  小塚 南坡 「鐘馗図」

端午の節句には鯉のぼりや兜を飾り、鐘馗さんのお軸や人形を飾り、柏餅や粽を頂くのが
当たり前となっていますが、そもそもの由来は始まりを調べてみるととても興味深く
勉強になりました。
鐘馗さんは中国の唐の時代に実在した人物と言われ、当時行われていた「科挙」という
官僚になるための大変難しい試験に臨みますが落第してしまいます。
現代の韓国中国以上の、人生を左右する試験だったため、絶望して宮中で自ら命を絶ってしまいます。
当時の皇帝である玄宗が熱病に伏せ、夢に現れる鬼に命を削られていました。
ある晩その夢の中に鍾馗が現れ、この鬼を退治します。
皇帝が名を問うと、鍾馗は名乗り、落第し自死しながらも皇帝に葬られたご恩に報いる為、
このように現れたと答えます。
夢からさめると病は治っており、皇帝は高名な画家であった呉道玄に命じて
鍾馗の姿を絵に描かせます。
以来、鍾馗絵は邪気を祓う効果があるとして、日本でも、魔除けや病気除けとして言い伝えられてきました。
だから絵柄はいつも威厳のある髭、鋭い眼光、
凜々しい黒い冠と長靴、寄らば切るといでもいうような太刀先なのですね。

野崎 幻庵「自作 黒茶碗 銘 双子山」その大きさに圧倒されますが、思いの外手にすっぽり収まり
飲みやすい、と殿方には大好評でした。

蜂谷 宗由「洲浜紋 三島茶碗 好み六十一の一」
 州浜は、神仙が住む蓬莱島のこと。
 海の向こうにあると言われている究極の幸せの国への憧れがこの紋に現れており、
 平安時代から慶賀の式などにおける飾りや調度品には 祝いの席の装飾具である洲浜の
 島台を図案化した紋を用いたそうです。

茶杓は 八代 堀内 宗完「銘 竹葉」
山本 崇雲 「真塗面取道安風炉」にぴったりおさまる釜は
「馬地文 肩衝釜」 こちらと手塚 祥堂「染付菱馬 水指」で馬尽くしとなりました。
建水は 「唐銅 鎗鞘 建水」といたしましたら、「駅鈴」で決まります。
柄杓持ち手を通して 一式お席に運ぶことをはじめて知りました。
主菓子はもちろん柏餅。今木屋さんつくりたてのぷよぷよしてうっすら鴬色。
お皿は香月 泰男(画)同じ出身の吉賀大眉(造)「蟹絵 皿」
頂き終わるとと蟹さんがみえる趣向です。
シベリヤ抑留時代の黒い絵シリーズとうってかわって、
後年は小さな生き物を描き、おもちゃを作っていた、私の大好きな画家です。

来月はどのようなお道具がご紹介できるでしょうか?
お花も籠になりますね。
とても楽しみです。