いよいよ炉開きの日を迎えました。
紅葉も、雨や暖かい日が続いたせいか鮮やかとは申せませんが、
あちこちで彩りが目に入って参ります。
明治から大正、戦前昭和にかけて活躍した、明治の団菊左歿後の歌舞伎界を
代表する名優歌舞伎役者で、やはり名優として、先に惜しまれて逝かれた
六代目のお父上です。
五代 中村 歌右衛門「おとといの落ち葉の今日は深かりし」
大徳寺四百八十七世 玄外 宗訥「関 官不容針 私通車馬」
後に臨済宗博多崇福寺九十七世でもいらした師のお軸が引きしまります。
書の意味は、関(置き字)【官には針を容れず、私に車馬を通ず】真理をつかむには色々な手段があるけれど、言葉の使い方一つでも仏様に近づけます、ということを
当時の関所の役人がわいろを取って旅人を通していたことを皮肉をきかせています。
大意は否定も肯定も自由自在。
「灰釉 飾壷」紐かけの練習をしていてうっかりそのまま飾っております。
向きが違いますが、ご愛敬と思し召しください。
「ふくべ 掛花入」には いろはもみじ、嵯峨菊を。
初代 畠 春斎「織部 筋釜」
炉縁は、哲山「独楽継 蒔絵 炉縁」
「古備前 水指」
一般的に古備前と総称されるのは主に江戸時代迄の作品で、明治時代以降のものと
区別されています。
お茶碗は、祥悦「銘 木守 利休七種の内」と「三島 茶碗」
木守とは、翌年の豊作を祈って、果樹に一つだけとり残しておく果実をいいます。
昔からの風習として、柿は全部取らず1つだけ残しそれを『木守り』と呼びました。
それは収穫に感謝して神様にお捧げするものであり、来年も沢山なりますようにとの
おまじないでもあり、これから冬に向かい食料が少なくなる野鳥に対する心遣い
でもありました。
田中 秀明「唐銅 菊割 建水」
茶杓は 久保 良斎(造)松長 剛山(筒箱書花押)
臨済宗紫野大徳寺塔頭高桐院住職、久田流有栖川系茶道十三代家元、細川三斉流茶道顧問,「銘 好日 茶杓」。
今回は一番の楽しみと言っても良い、スタッフ自家製お善哉!
早起きしてお餅も入れてくれました。
「真塗 椿碗」と「真塗 角盆」で、かしこまって美味しく頂きました。
干菓子は 秋田杉干菓子盆にて、京都亀屋良長「一陽来福」(いちようらいふく)
正式には一陽来復。冬が終わり春が来ること。新年が来ること。また、陰の気がきわまって陽の気にかえる意から、悪いことが続いた後で幸運に向かうことを意味します。
加えてまめに(元気に)暮らせますように、と云う祈りも込めて三種のお豆も入っています。
外は北風が吹いても 中はあたたかい今年最後のお茶会となりました。
年明けまた皆様元気に集えますように。
少し早いですが、皆様にとりまして良き新年をお迎え下さいませ。
蓮は 年内12月28日まで、明けて1月6日より営業となります。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。