春もそこまでというのに不安な空気に包まれています。
穢れを払ってくれるお雛様にちなんでお茶会を開きました。
雛祭りはもともと中国の「上巳(じょうし)」の節句、旧暦三月三日に
水辺にて身を清め、穢れを払う習慣があり、 これをもとにこの日に穢れ
払いの儀式が行われるようになったそうです。
奈良時代には紙でできた人形(ひとかた)が登場し、平安時代には
人形に厄を移して川に流す「流し雛」も誕生。
その昔、医療や衛生状態の未発達により、成人する前に命を
落としてしまい、親は子が無事に成人するまで健康でいられるよう祈りを
込めて、厄払いをしました。
平安時代には、貴族の女の子たちの間で「雛遊び(ひいなあそび)」が
流行しました。
紙でつくった人形を、同じく紙でつくった御殿のなかで遊ばせますが、
単なるままごとと違うのは、人形が男女一対だということ。
現在の様式に近づいたのは江戸時代の後半~昭和にかけてだそうです。
雛祭りには桃と蛤が欠かせませんが、その由来は
平安時代には「貝合わせ」遊びなどで知られ、
蛤の貝殻は、対になっている貝殻でなければぴったりと合いません。
このことから、仲の良い夫婦を表し、一生一人の人と添い遂げるようにと
いう願いが込められた縁起物となりました。
桃は2500年ほど前に中国で栽培され、古来より様々な書物に桃の記録が
見られます。
桃の花は厄払いや魔除け、長寿をもたらす力も持っているといわれています。
桃が持つ不思議な力によって人々が救われたという数多くの伝説からも、
生命力の象徴ともいえる桃をひな祭りに飾る様になりました。
寄り付きには 蛤におもきをおいて、
山本 紅雲「鯛」を。
本床には 大田垣 蓮月
「このとのにけふ咲花はいくちよのもゝ悦のはじめなるらん 立雛画賛」
桃のよい枝を唐銅耳付花入に あえてそのままさしました。
香合はひとひねりして、
坂本 旭窓(花押造)「子安貝 香合」
こちらは元々は酒盃と珍味入であったものを、蓋と底を造り香合としたもの。
箱書に記載があります。
加藤 了三「霰筒釜」はこの時期ならではの吊り釜として。
ですので蓋置には 鈴木 盛久「蓋置 五徳」が使えるのです。
ミニチュア愛がかきたてられます。
宮田 宗景「白網干蒔絵 棗」
網干には網を干して皆祭りにいってしまったという意味があり、豊年大漁を表します。
元永 彰一「高取 四方水指」
お茶碗は 十代 長岡 空處「楽山焼 雛画 茶碗」
松平不味の御用窯、出雲楽山焼、昭和三十五年十代長岡住右衛門を襲名。
主菓子は 今木屋さんの「花団子」
音羽山窯「都鳥」のお重と小皿に添え、色が映えます。
お干菓子は 平安堂「高杯 古代朱 研出」に
同じく今木屋さんの 雛あられを。
朱塗が雛祭りの華やいだ雰囲気を伝えてくれます。
来月は桜の便りが届く頃ですが、皆様お大切にお過ごしください。