今年は例年以上に季節の巡りがはやく感じられました。
そのような中で、なごりの茶会が開かれました。
寄付には、
小堀 正和(歌)狩野 探原(画)「山里を憂き身のほとのやどりとは すまておもひし心なりけり~払子画賛」
お歌は、 小堀流九世。
孤篷庵で育ち、茶を父宗中に学ばれ、宗中とともに道具の目録である
『過眼録』の編纂、古文書の整理を行われました。
画を狩野派に学びまた能書家の名が高い方です。
画は
狩野探淵の長男、鍛冶橋狩野家をつぐ。江戸城本丸・西の丸の障壁画制作に参加。
慶応二年没三十八歳
本床には
烏丸 光広「神無月 ふりみふらずみ さだめなき 時雨ぞ冬の初めなりける」
裏書 御宸翰 有
別号/烏有子/泰翁/宗山
江戸時代前期の公卿で正二位権大納言。博学多識で歌道は細川幽斎、
十月になり、降ったりやんだりと不規則に降る時雨は冬の始まりを感じさせる。
花入 虎竹 みの虫籠掛花入
花、藤袴、水引、杜鵑、野紺菊、浜菊、山帰来、菊芋
スタッフが丹精した秋の花々を、
参加してくださった方がいけて下さいました。
畦地 多喜翁 「胡桃の香合」乾漆
開くと中は金で鮮やかです。
芳明(詳細不詳)「桑 棗」
素朴な木地が なごりの風情をひきたてます。
海野宗秦(造)立花大亀(箱書)「銘 山里 茶杓」
三代 原 晃悦「雲龍釜」
加藤 了三「やつれ 風炉」
陶板「織部 萩絵」
宗陵「細 水指」志土呂会会員
「高麗 茶盌」(へら、切高台)
腰半分ヘラ跡が美しいお茶碗です。
撮影し忘れたので、後日ご紹介できれば、と思っております。
奥田 頴川「頴川赤絵 茶碗」
江戸中期の陶芸家。九州以外での磁器の製造に成功し京焼の発展に貢献。
また染付、赤絵、交趾等のそれまでの京焼にない作風で、当時の有望な陶工、
木米や道八等に大きな影響を与えた人です。文化八年歿五十八歳
「槌目 建水」
「竹 蓋置」
野坂 江月窯「萩 菓子器」には
鶴屋吉信「栗 みやび」
尾崎 谷斎「奇石水泉刀 桐四方盆」
風流堂「山川」
紅白の二種類ありました。
谷斎は初め茶道具の目利きを習い、その後21歳で浅草派の玉陽斎光雛に根付を師事。
四年の修行を経て弟子二人を得ます。
象牙よりも鹿角を好んで使用。仏具・蝙蝠・霊芝(茸)の作品が多く、
その独特な作風で時代の人気を得、当代人気番付にも頻繁に登場。
谷斎ものを持たない芸者は本物ではないとまで言われました。
具材の安い鹿角に芸術的価値を持たせることが谷斎の本領であり、作品自体の特異性に加え、作者名の刻印に特徴があります。
九代目 市川團十郎が、注文してからなかなか届かず、しびれを切らしてお金に困っているだろうと小判金十両を送りつけたところ、
馬鹿にするなと怒ってその小判に、
「金十両確かに受領せり」
と彫って突き返したという逸話があります。
根付師としての活動は1870年前後が中心でした。
来月はいよいよ炉開きです。
天候にも恵まれますことを願いつつ。