利休忌

三月利休忌お茶会

利休忌は「茶聖」である千利休の命日に彼の徳を偲んで行う

茶事のことです。

利休の命日は二月の二十八日で、新暦に合わせ3月29日に

集いました。

床に利休の肖像を掲げて献茶をする「供茶」、続いて七事式が

行われるのが恒例となっています。

 

寄付には 宮坂 宥勝「観音像」
名古屋大学名誉教授、智山伝法院院長、
成田山仏教研究所次席研究員、
成田山勧学院教授、真言宗智山派照光寺二十八世住職、
仏画を善くす。

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寄り付き
本床には
高瀬 春暁「利休像」
春挙門、名古屋生
十五代 永楽 善五郎 正全「黃交趾 香炉」
 
新保 喜斎「蝋色 平卓」
「金銅 経筒」
菜の花をお供えいたします。

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本床
二代 茶平 一斎「真台子(関東間)」
 
茶道具専門の塗師、初代の長男、初代のもとで修行し二代目を継ぐ。
「一斎」の号は先代が宗偏流家元から受けたもの。
平成四年二代茶平一斎を襲名。
平成五年石州流十六代片桐貞光宗匠より石州流十職の
塗師に指定。
平成二十五年歿輪島生
 
三代 和気 亀亭「楽 茶入」共箱
 
二代亀亭の子、染め付けの完成は三代の時とする説もある。
文政五年没。

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本床 其の二

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茶入
真塗 中次
 
初代 畠 春斎「雲龍文 釜」共箱 高21×径13.2
 
釜師。釜屋彦兵衛を祖とする釜師の家に生まれる。
明治四十一年生昭和五十六年歿七十三歳高岡の人
 
真塗 炉縁
 

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釜 炉縁

 

 

小堀 明堂「銘 知足 茶杓臨済宗紫野大徳寺五百十九世
 
清水 保孝「油滴天目釉 茶碗」共箱

 

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天目茶碗

三代 佐々木 昭楽「長次郎早舟うつし 赤 茶碗」

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赤 茶碗
西山伯窯「斗々屋 茶碗」共箱
楠部彌弌に師事。
 
 

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斗斗屋 茶碗
十四代 沈 寿官「薩摩 青釉浮彫 菓子鉢」
 

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菓子鉢
 
 

丸市菓子舗 主菓子「斗々屋」

      干菓子「利休古印」

利休が商人として用いていた印鑑を模した干菓子。二種一対となっており、

丸い判が実印「納屋判」、四角い方が認印「竹判」といわれます。

 

今回一番注目された道具がこちら。

尾崎 谷斎「桐 四方 太湖石蘭図 盆」

角彫師、幇間。商家伊勢屋に生まれる。尾崎紅葉の父。

天才肌の角彫師だが、月一個か二個しか作品を作らず、素人の幇間を業とし、

赤羽織谷斎として名を売る。

五番組火消しの組頭からひいきにされ、明治二十七年組頭と、

ステテコ踊りで有名な三遊亭円遊の三人で両国でフグを食べ頓死。

天保六年江戸芝生明治二十七年歿五十九歳

 

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四方盆

 来月は新緑がまぶしい頃となりましょうか。