雛の茶会

雛の茶会

今年も五節句の一つ、雛の茶会を開くことがかなった。

お軸とお道具選びを終え、ささやかながらがらお弁当を一同で頂く。

雛絵は格によって待合にも本席にも使える。

道具や花は桃や柳、貝、菱に関係するものが主に用いられる。

よくお軸でみられる立雛図だが、

雛の左右は元々左(向かって右)に男雛、右に女雛とされている。

これは陰陽説で陰の方向である右に女性、

陽の方向である左に男性と対応させたためとされる。

この並びは現在でも京都を中心に関西でもちいられる 。

一方、東京を含めたその他の地域では逆の配置を

されることが多い。これは昭和初期から広まった構成で、

昭和天皇の即位礼の並びに倣った、

西洋で一般的な並びに倣ったなど、諸説がある。

 

寄付には「三月節会之図」

作者不詳なれど、平安の雅な行事光景が描かれている。

〈曲水の宴〉

上巳の日に行う遊宴で、庭園の曲水の曲がり角ごとに参会者が座り、

上流から流れてくる盃が自分の前を過ぎないうちに詩歌を作り、

盃を取り上げて酒を飲む遊び。流觴(りゅうしょう)ともいう。

中国における上巳の日の禊から発生したと考えられている。

中国の曲水の宴として有名なものに、王羲之が友人を招いて

開いた蘭亭(らんてい)の宴がある。

〈闘鶏〉

雄鶏を左右に番わせ、戦わせる行事で、「鶏合(とりあわ)せ」

ともいう。中国渡来の風習で、『日本書紀雄略天皇七年(四六三)

にはその記事が見える。もともと日は定まっていなかったようだが、

平安時代以降に三月三日の行事となり、「合物(あわせもの)」

(「物合せ」ともいい、二方に分かれ、物を比べ合わせてその

優劣を競う遊び)の一つとして流行した。

寄付

 

本床には釈 洞々 佛山 「百花春」

佛山は伊豆修繕寺大仁町福巖院師家、曹洞宗永平寺東京別院長谷寺塔頭

至純の禅者、沢木興道の後継者、道元禅師の行履をたずね、

妻子も寺も持たず、座禅三昧で生きた僧。

伊豆大仁歿大正二年栃木県鹿沼

描かれた書は力強く、芽生えの季節のエネルギーが感じ取れる。

本床

香合は 「色絵 結びの香合」松田 蘇川

諏訪蘇山に師事。帰郷後、矢口永寿、須田菁華のもとで、

古九谷釉染付を研究。叔父松田与八郎の修めた欧州風の石膏型陶法を

完成。古九谷写の白地を洗練化、素地窯元としての礎を築く。

昭和四十二年歿金沢生

 

結び文がはじめて用いられたのは平安時代

かな文字やカタカナが考案され、当時の貴族たちは歌や文章を紙に記し、

また恋文などのやりとりも頻繁に行われた。

当時の手紙には横長の紙を用いて書いたものを細長く折って

白い紙に包んだ「立て文」「捻り文」、手紙を薄い紙で包んだ「包み文」

そして「結び文」という形式があり、その中では立て文が一番正式な

書面に用いられ、結び文は立て文の略式とされ恋文によく用いられた。

恋文は、結婚するまで相手の顔をみることもできなかった当時の人々に

とって自分の想いを伝え相手を知ることができる唯一の方法だった為、

結び文に用いる紙の質や色、紙に染み込ませた香の匂いにも

こだわり文を書いた。そのことから結び文は縁結びや子孫繁栄、

現代ではおみくじで見られるように自分の願いや思いが結ばれるように

という意味が込められている。

香合

「百花春至為誰開(ひゃっかはるいたってたがためにひらく)」

自然の差別のない平等な精神を示す。「花」は仏性である。

何かの為に言うことではなく、季節、気温、日照などの条件が整えば咲く。

その因縁や条件を失えば花は咲かないし、因縁や条件を失えば散っていく。

人間もやはり大自然の中にいる生物のひとつであり、

自然の働きの中で命が与えられ、様々な縁によるめぐり合わせられた

環境の中で生かされているのである。

 

花は桃の花と菜の花を。

桃は2500年ほど前に中国で栽培された。

中国でも日本でも、古来より様々な書物に桃の記録が見られ、

日本には弥生時代以前に伝わったことがわかっている。

桃の花は厄払いや魔除け、長寿をもたらす力も持っているといわれている。

桃が持つ不思議な力によって人々が救われたという数多くの伝説からも、

その威力がわかる。このような理由から、

生命力の象徴ともいえる桃をひな祭りに飾る習慣が続いている。

淡い色ながら どちらも茎がしっかりしていて軸に負けない存在感が。

それを支える花器は 廣崎 裕哉 「灰釉 瓶子」

一哉窯。日本伝統工芸展、ヴァロリス国際陶芸展など出品。平成二十四年歿

 

釜は 角谷 莎村 「筒 釜」

鋳造家、釜師日本工芸会会員、府工芸功労賞。

人間国宝角谷一圭の弟。昭和六十二年歿七十六歳大阪生

「掻合 炉縁」

「掻合 長板

 

加藤 愛助「織部 手桶 水指」

瀬戸の赤津窯、閑静庵

 

 吉口 桂堂(筒書花押)「銘 若芽 竹 茶杓

臨済宗紫野大徳寺塔頭瑞峯院五百九世。昭和六十二年歿九十九歳

 

建水 「春慶 曲」

釣釜

水指の濃い織部の色合いが 席全体をひきしめている。

水指

「木地 春草蒔絵 小棗」

蕨など 春の芽吹きが描かれている。

 

「色絵仁清 ぼんぼり 蓋置」清閑寺

ぼんぼり 蓋置

「仁清 春草かくれ文字 茶碗」水出 宗絢

さて、どこにどの文字がかくれているかおわかりだろうか?

会席で皆さんにまわしてみたが、すぐみつかるようで意外とみつからなかった。

春草かくれ文字茶碗

安朱窯、叔父加藤永峰の基で作陶の修業、府立陶工訓練校終了、

京都山科に開窯、東大寺清水公照師と合作展。昭和五十五年 

洛北花背に登り窯築。昭和二十三京都生

 

「銘 心花 萩 井戸茶碗」 橋本紹尚(箱書花押)林紅陽(造)

〈紹尚」昭和四十七年大徳寺派柳生芳徳寺住職、小田雪窓に参禅、

三玄院先代住職。藤井誡堂老師より「顕道」「紹尚」を拝命。

昭和十四年奈良柳生

〈紅陽〉萩焼の元祖、坂高麗左衛門氏の弟子になりその後独立。

萩 井戸茶碗

さて楽しみなお菓子は 入手が難しい

「銘 春の香」 仙太郎

「真塗 小丸 盆 十客」に。

主菓子

つつみ紙


つつみ紙まで愛らしい。

 

干菓子は

「おきな飴」 金太郎飴本店 と

「おいり」 山下おいり本舗 を

「木地 高坏」に。

干菓子

 

来月は花見の頃だろうか。

皆様 花冷えにご自愛ください。