まさに春の嵐といっていい天候の中、利休を偲んでの茶会を開いた。
千利休の忌日 利休忌としてこの時期、各流派で茶会がひらかれている。
新暦では表千家不審庵は二十七日、裏千家今日庵と藪内燕庵は二十八日に
挙行する。
毎月二十八日には聚光院で三千家が交代で供茶釜をかけ、
各流派でも行っている。
利休の肖像又は居士号を掛け、その前に三具足を飾る。
三具足とは仏事に用いる「香炉」「華瓶」「燭台」を指す。
花は菜の花を手向ける。
その後七事式を催すのが恒例となっている。
「辞世の句」
人生七十 (じんせいしちじゅう)
力囲希咄 (りきいきとつ)
吾這寶剣 (わがこのほうけん)
祖佛共殺 (そぶつともにころす)
堤る我得具足の一太刀 (ひっさぐる わがえぐそくのひとたち)
今此時ぞ天に抛 (いまこのときぞ てんになげうつ)
(訳)
人生七十年
えい!やぁ!とう! (力囲希咄=気合の掛け声)
我がこの手に持つ宝剣を使い
祖仏も我も共に殺してしまえ
上手に使いこなせるこの太刀を引っ下げ
今、この命を天に投げ打つ
抛てる茶筌に花の匂ひかな 川上不白
(訳)投げ捨てる茶筅に花の匂いが感じられることだ。
※千利休の号である「抛筌斎」をもとにした句。
魚を獲る道具である「筌」をなげうつという意味に由来するが、
利休忌や いつか地雨の 七事はて 佐々木三味
参考文献:佐々木三味「茶道歳時記」淡交社刊行
寄り付きには 「力囲希咄」小野 雲峰
(語句説明は前述ご参照を)
本床には「利休居士肖像」高安 戒仙
「松地紋 撫肩 筒釜」佐藤清光
「古材 炉縁」平安 栄斎
釣釜とは天井から釣る形の釜を指す。
春になり暖かい陽気になってきたので釜を小さくするが、
春とはいってもまだ寒い。
釣釜にして釜を持ち上げ炭の火がお客様に見えるようにしている。
春の風情、ゆれる軽やかさを茶室で表現しているともされ、
風炉の前の三月に用いられる。
広間では釣釜を鎖で吊るし、小間では竹の自在で吊るす。
「桐 旅箪笥」
小田原攻めに同行したことから始まる。
戦場には茶室がなく、箱形の旅箪笥に茶道具一式を
いれて持ち運び、茶を点てることになった。
しかし、炉で湯を沸かすことができなかったため、穴を掘り火を
おこし、そこに木から吊るした釜を下げて湯をわかした、とされている。
「黒 中棗」高村 表恵
中△(詳細不詳)茶杓
「銘みせばや 花をのみ待つらん
人に山里の雪間の草の春を見せばや」
壬二集・六百番歌合・藤原家隆
「まだ花が咲かない、春が来ない」と待っているだろう人に、
山里に積った雪のあいだ、わずかに芽吹いた若草に
訪れた春を見せてあげたい」
水指 「光琳 水指」尾形 乾女
日本画家、陶芸家。六世乾山の娘。女性は窯場に入る事は許されず
還暦を過ぎてから陶芸を始める。幼少より日本画を学び、
後に堅山南風に師事。
晩年鎌倉で陶芸活動をはじめ、自らを乾女と名乗る。
七世を襲名せず六世の完結を宣する。平成九年歿九十八歳浅草生鎌倉住
「色絵桜花画茶碗」三代 杉田 祥平
清閑寺焼、色絵、交趾、染付、京都伝統陶芸家協会役員、大正三年京都生
華やかで品の良い作品には愛好家が多い。
「長次郎 鉢開写 黒 茶碗」三代 佐々木 昭楽
父松楽に師事、茶道具専門に製作、祖父の代より楽焼に従事。
京都清水阪に築窯のち亀岡矢田神社の畔に移住、出口王仁三郎、
小田雪窓の知遇を得、再び開窯。昭和十九年京都生
「志野 茶碗」松本 鉄山
瀬戸安右衛門窯窯元。山口錠鉄の次男、母方の窯を継ぎ瀬戸で作陶。
「桜 茶碗」山岡 善昇
上山善次郎にて十年間修業、昭和四十四年 山岡陶画苑として独立。
師匠より 善昇(昇)の号を受る。
淡交ビエンナーレ茶道美術公募展入選受賞。昭和十七年三重生
「唐津 絵粉引 鉢」十三代 太郎右衛門窯
人間国宝として認められた十三代太郎右衛門の窯。
「利久饅頭」
我々には 利休の文字を頂くには恐れ多いので、利久と。
今木屋 特製
干菓子は「松崎煎餅」蝶 を「欅 高坏」に。
蝶は 仏教ではあの世とこの世をいきかう、輪廻転生の
シンボルとして仏具にも用いられてきた。
復活、長寿などの縁起ものとしても、この日にふさわしく感じた。
ここ数日の陽気で一気に桜が開花した。
来月はすでに初夏になろうか。
日本固有の繊細な季節の移り変わりが 感じられにくくなってきたのは
残念である。
せめて茶の世界では大切に受け継いでもらいたいと願ってやまない。