初風炉の茶会

寄り付きには 野崎 幻庵(のざき げんあん)

「軒の雨やどは あふよりもほととぎす
 かわける幹の 袖のぬれける」

別号/廣太/安閑山房主/汲古庵/自治荘老人
数寄者、益田鈍翁の進めにより三井物産に入社のち三越百貨店社長等勤める、財界の
数寄者として、益田鈍翁、高橋掃庵、原三渓
根津青山、馬越化生らと交友を結び、
茶に親しむ。「茶会漫録」を出版。
昭和十六年歿八十五歳岡山生

店主は縁あって玄庵の作品をたくさんあつかって
きた。季節毎何度寄り付きに掛けてきただろうか。

寄り付き

寄り付き和歌

本床


本床には 「墨竹」無学 宗衍
むがく そうえん
別号/把不住/至聖大妙禅師
大徳寺三百七十八世。玉林院十世住職。
又、東海寺の輪番を務める。明和四年勅を受け
大徳寺に入寺開堂、光格天皇より禅師号を賜る。
寛政三年歿七十一歳

「手無宗全 えびす 籠」二代 池田 瓢阿
大好きな籠の季節到来。
 花は スタッフが丹精した金糸梅、山法師、紫陽花

繊細な花々が籠で良く映える。

竹籠


竹芸家、竹楽会主宰、日本工芸会会員、
茶道系花籠の第一人者、鈍翁や数寄者より薫陶を
受けた。伝来の時代花籠の写しを得意とす。
執筆や茶陶も長じ「茶会の顛末ー小林白甫茶湯
日記」「骨董巷談」など著書多数。三代目に譲り
瓢翁となる。
大正三年大阪生
平成十五年歿大阪生東京住

香合


「堆朱 屈輪(ぐり)香合」

渦状の反復文様のことで、「ぐりぐり」としている
ところから中世以来この名で呼ばれている。
堆朱や寺院建築などに用いられる 蕨形の連続文様。
古代中国の漆工の一つ。

「銘 初心」吉田 宗林(造)辻常閑(筒書花押)

風炉では初心にかえって 丁寧に向き合うべく選ばれた
次第。

茶杓


「車軸 釜」大西 五郎左衛門(造)
 十三代 大西 清右衛門(箱書)
 
 真塗眉風炉

【大西 五郎左衛門】おおにし ごろうざえもん
名/延貞
江戸中期の釜師。江戸大西家の祖。
京都大西家の二代目五郎左衛門村長、浄清の子。
寛永年中に古田織部に従い父と共に江戸に下向し、定林は江戸に留まり江戸大西家を興した。
宝永から宝暦は幕府御用釜師享保十二年歿

【十三代 大西 清右衛門】おおにし せいえもん
別号/清三郎/孝信/浄長
千家十職釜師大西家。十二代長男。
十一代祖父のち玉村徳兵衛に師事、晩年は釜の鑑定や
極めをした。昭和十八年歿七十八歳

 

水指 薄器 茶碗


水指「萬古焼 南蛮縄簾」中森 楽助

薄器「桐竹蒔絵 中棗」堀井 胡春

茶碗「斗々屋」駕洛窯(清水日呂志)
とても手に収まりの良い茶碗。

茶碗その一

茶碗その二

「仁清 八ツ橋」森里 陶楽

茶碗その三

「犬山焼菖蒲絵」後藤 陶逸

建水


建水「丹波」信水窯(市野 信水)
曲げの留めもあるのがお分かりだろうか。


蓋置「板橋」

蓋置


菓子器「高取 手付」鬼丸 雪山
 
初夏の楓
秋の紅葉にもどちらにも使える 
程よい大きさのすぐれもの。

菓子器


主菓子 御銘 あゆ(青楓)御製 今木屋

主菓子


干菓子 御銘 初夏御製 亀屋清永
「溜塗丸盆」 
 流水紋 八つ橋 蝴蝶 青楓 鮎 に見立てて

干菓子

六月の茶会は涼やかな道具達の出番となりそうです。