牛に引かれて善光寺

長野県の無宗派単立寺院 善光寺に行ってまいりました。
詣でられた方多いと思いますが備忘録です。

日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられている。また女人禁制があった旧来の仏教の中では稀な女人救済があげられる。
山内にある天台宗の「大勧進」と25院、浄土宗の「大本願」と14坊によって共同護持・運営されている。「大勧進」の住職は「貫主」と呼ばれ、天台宗名刹から推挙された僧侶が務めている。とのことです。
本堂の中の「瑠璃壇」と呼ばれる部屋に、初めての朝鮮渡来の絶対秘仏の本尊・一光三尊阿弥陀如来像が厨子に入れられて安置と伝えられている。代々の住職も目にすることを許されていないそうです。

山門までにたくさんの僧坊が並びます。鮮やかなのれんの色が中国風で風情があります。

そして山門についてまず感動。重文の仁王門に息をのみました。

通常の仁王像の配置とは逆に配置されているそう。
明治24年に消失した山門は再建と保存の問題が山積みでしたが、永田兵太郎氏という地元の名士の方の全額寄付の申し出により再建されたそうです。
仁王像は高村光雲米原雲海によるものです。
高村光雲は、米原雲海をパートナーとし、東京の吉祥寺町に仁王像製作工場を建て、木曽の檜を運び込んで製作を行っていました。
善光寺から依頼された像は、仁王像2体の他に、三面大黒天、三寳荒神像でした。原木から即彫り始める従来の方法とは違った彫り方で行ったために手間取り、完成したのは大正8年になってからだったそうです。
当時高村光雲は、皇居の楠木正成像、上野公園の西郷隆盛像、『老猿』という猿を襲う鷹の木像も成して絶頂を極めていました。

その絶頂期後期に制作された仁王像は大変力強く、とても美しい仕事がかいま見れます。

国宝の本堂です。

まず目に入ってきたのは裏菊紋です。

大本願は尊光上人によって創建された尼寺で、歴代、宮家や公家の出身の上人様をお迎しえているので菊の紋の中央にがくがついた「裏菊紋」が使われるそうです。
本来菊紋とは天皇家のものです。
菊紋の使用を許された宗教や団体は少なく、さらに裏菊紋などは、菊を使用するのに恐れ憚る時にアレンジとして使われます。
例で言うと日蓮宗も菊紋の使用を賜っているそうです。
またここで興味深いのは、尊光上人が蘇我馬子の息女であられるということでした……
「卍」は 仏教の吉祥の印。
そして「立葵紋」は徳川家が本多家の「三つ葉葵」を気に入り立葵を下賜するかわりに三つ葉葵を貰ったそう。
そして本堂の戒壇巡りにたまげてしまいました。
善光寺には始めて参りましたが、こんなにすごいとは…驚き腰を抜かしてフラフラになっていたらお寺の方が色々教えて下さり、2週目の戒壇巡りへ。
賓頭盧尊者様も迫力がすごかったです。
宝物館も、素晴らしいかったです。
すべて撮影禁止でしたので、あしからずです。

経蔵ももちろん素晴らしかったです。

ところでこの刺のある枯れ木がさしてあるのはなんなのでしょうか?
経蔵に刺してありました。

立派な蓮池がありました。

善光寺は創建644年、今の本堂は1700年代のものです。
644年とは、聖徳太子が亡くなられて200年くらいでしょうか。
仏教が日本に入ってきた時代の、大陸や海を越えてきたようなダイナミックさの残るお寺のように感じました。
足を運ばれたことのない方は是非一度詣でられて下さい。

店主ツイートしていますが、現在千葉美術館で光雲息子の高村光太郎展が開催されています。が、8/18明日までです。
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2013/0629/0629.html