雛の茶会

雛の茶会

今年も五節句の一つ、雛の茶会を開くことがかなった。

お軸とお道具選びを終え、ささやかながらがらお弁当を一同で頂く。

雛絵は格によって待合にも本席にも使える。

道具や花は桃や柳、貝、菱に関係するものが主に用いられる。

よくお軸でみられる立雛図だが、

雛の左右は元々左(向かって右)に男雛、右に女雛とされている。

これは陰陽説で陰の方向である右に女性、

陽の方向である左に男性と対応させたためとされる。

この並びは現在でも京都を中心に関西でもちいられる 。

一方、東京を含めたその他の地域では逆の配置を

されることが多い。これは昭和初期から広まった構成で、

昭和天皇の即位礼の並びに倣った、

西洋で一般的な並びに倣ったなど、諸説がある。

 

寄付には「三月節会之図」

作者不詳なれど、平安の雅な行事光景が描かれている。

〈曲水の宴〉

上巳の日に行う遊宴で、庭園の曲水の曲がり角ごとに参会者が座り、

上流から流れてくる盃が自分の前を過ぎないうちに詩歌を作り、

盃を取り上げて酒を飲む遊び。流觴(りゅうしょう)ともいう。

中国における上巳の日の禊から発生したと考えられている。

中国の曲水の宴として有名なものに、王羲之が友人を招いて

開いた蘭亭(らんてい)の宴がある。

〈闘鶏〉

雄鶏を左右に番わせ、戦わせる行事で、「鶏合(とりあわ)せ」

ともいう。中国渡来の風習で、『日本書紀雄略天皇七年(四六三)

にはその記事が見える。もともと日は定まっていなかったようだが、

平安時代以降に三月三日の行事となり、「合物(あわせもの)」

(「物合せ」ともいい、二方に分かれ、物を比べ合わせてその

優劣を競う遊び)の一つとして流行した。

寄付

 

本床には釈 洞々 佛山 「百花春」

佛山は伊豆修繕寺大仁町福巖院師家、曹洞宗永平寺東京別院長谷寺塔頭

至純の禅者、沢木興道の後継者、道元禅師の行履をたずね、

妻子も寺も持たず、座禅三昧で生きた僧。

伊豆大仁歿大正二年栃木県鹿沼

描かれた書は力強く、芽生えの季節のエネルギーが感じ取れる。

本床

香合は 「色絵 結びの香合」松田 蘇川

諏訪蘇山に師事。帰郷後、矢口永寿、須田菁華のもとで、

古九谷釉染付を研究。叔父松田与八郎の修めた欧州風の石膏型陶法を

完成。古九谷写の白地を洗練化、素地窯元としての礎を築く。

昭和四十二年歿金沢生

 

結び文がはじめて用いられたのは平安時代

かな文字やカタカナが考案され、当時の貴族たちは歌や文章を紙に記し、

また恋文などのやりとりも頻繁に行われた。

当時の手紙には横長の紙を用いて書いたものを細長く折って

白い紙に包んだ「立て文」「捻り文」、手紙を薄い紙で包んだ「包み文」

そして「結び文」という形式があり、その中では立て文が一番正式な

書面に用いられ、結び文は立て文の略式とされ恋文によく用いられた。

恋文は、結婚するまで相手の顔をみることもできなかった当時の人々に

とって自分の想いを伝え相手を知ることができる唯一の方法だった為、

結び文に用いる紙の質や色、紙に染み込ませた香の匂いにも

こだわり文を書いた。そのことから結び文は縁結びや子孫繁栄、

現代ではおみくじで見られるように自分の願いや思いが結ばれるように

という意味が込められている。

香合

「百花春至為誰開(ひゃっかはるいたってたがためにひらく)」

自然の差別のない平等な精神を示す。「花」は仏性である。

何かの為に言うことではなく、季節、気温、日照などの条件が整えば咲く。

その因縁や条件を失えば花は咲かないし、因縁や条件を失えば散っていく。

人間もやはり大自然の中にいる生物のひとつであり、

自然の働きの中で命が与えられ、様々な縁によるめぐり合わせられた

環境の中で生かされているのである。

 

花は桃の花と菜の花を。

桃は2500年ほど前に中国で栽培された。

中国でも日本でも、古来より様々な書物に桃の記録が見られ、

日本には弥生時代以前に伝わったことがわかっている。

桃の花は厄払いや魔除け、長寿をもたらす力も持っているといわれている。

桃が持つ不思議な力によって人々が救われたという数多くの伝説からも、

その威力がわかる。このような理由から、

生命力の象徴ともいえる桃をひな祭りに飾る習慣が続いている。

淡い色ながら どちらも茎がしっかりしていて軸に負けない存在感が。

それを支える花器は 廣崎 裕哉 「灰釉 瓶子」

一哉窯。日本伝統工芸展、ヴァロリス国際陶芸展など出品。平成二十四年歿

 

釜は 角谷 莎村 「筒 釜」

鋳造家、釜師日本工芸会会員、府工芸功労賞。

人間国宝角谷一圭の弟。昭和六十二年歿七十六歳大阪生

「掻合 炉縁」

「掻合 長板

 

加藤 愛助「織部 手桶 水指」

瀬戸の赤津窯、閑静庵

 

 吉口 桂堂(筒書花押)「銘 若芽 竹 茶杓

臨済宗紫野大徳寺塔頭瑞峯院五百九世。昭和六十二年歿九十九歳

 

建水 「春慶 曲」

釣釜

水指の濃い織部の色合いが 席全体をひきしめている。

水指

「木地 春草蒔絵 小棗」

蕨など 春の芽吹きが描かれている。

 

「色絵仁清 ぼんぼり 蓋置」清閑寺

ぼんぼり 蓋置

「仁清 春草かくれ文字 茶碗」水出 宗絢

さて、どこにどの文字がかくれているかおわかりだろうか?

会席で皆さんにまわしてみたが、すぐみつかるようで意外とみつからなかった。

春草かくれ文字茶碗

安朱窯、叔父加藤永峰の基で作陶の修業、府立陶工訓練校終了、

京都山科に開窯、東大寺清水公照師と合作展。昭和五十五年 

洛北花背に登り窯築。昭和二十三京都生

 

「銘 心花 萩 井戸茶碗」 橋本紹尚(箱書花押)林紅陽(造)

〈紹尚」昭和四十七年大徳寺派柳生芳徳寺住職、小田雪窓に参禅、

三玄院先代住職。藤井誡堂老師より「顕道」「紹尚」を拝命。

昭和十四年奈良柳生

〈紅陽〉萩焼の元祖、坂高麗左衛門氏の弟子になりその後独立。

萩 井戸茶碗

さて楽しみなお菓子は 入手が難しい

「銘 春の香」 仙太郎

「真塗 小丸 盆 十客」に。

主菓子

つつみ紙


つつみ紙まで愛らしい。

 

干菓子は

「おきな飴」 金太郎飴本店 と

「おいり」 山下おいり本舗 を

「木地 高坏」に。

干菓子

 

来月は花見の頃だろうか。

皆様 花冷えにご自愛ください。

 

 

 

 

 

初釜

列島を寒波が包み込む中、無事年を越して新年も早一ヶ月を経て、

無事初釜を迎えることができました。

寄り付きには 吟翁「結び柳」と炭飾りを。

寄付

 

炭飾り

おめでたい 海老、亀、鶴があしらわれています。

唐の故事をもとに、結び柳をお茶の席に最初に柳を

用いたのは千利休とされています。

 

結び柳の由来は「結す」「産す」「生す」

-全て読みは「むす」-が

繋がっていることからと言われています。

新年と旧年を結ぶという意味も込められているそうです。

 

本床には 大綱宗彦のお軸

「壬子人は子日ゐわは 都人はつるの松にいくそえて 

いわつやいわへ けふのななくさ」

大綱宗彦(だいこうそうげん):大徳寺四百三十五世

和歌書をよくし茶に親しむ、又永楽保全の後援者となる。

万延元年歿八十九歳

 

神楽鈴を朱台に供えます。

香合は 「黄瀬戸 福禄寿 香合」

花入れは其の朝に 青竹を庵主が切りました。

店の紅梅と松とで 松竹梅となります。

竹花入は茶杓と共に茶人が手ずから造るものとして

尊重されてきました。

天正十八年の秀吉による小田原攻めの折、

利休が韮山(静岡)の竹を切ったのが流行の初めと

されています。

本床 お軸

本床



炉縁は「末広舟蒔絵黒塗炉縁」岡本陽斎

蒔絵の舟が華やぎを運んでくれます。

 

釜は「瑞雲地紋 肩衝 釜」宝積正一

釜と炉縁

薄器は今年の干支を

「花兎蒔絵中棗」山本 楽堂

薄器

お茶碗はどっしりあたたかみのある 

「銘 暁光赤 志野茶碗」小林 武春

志野 茶碗



「御本 茶碗」

時代を感じさせる塗りの箱と布に大切に包まれています。

 

「高取 掛分建水」折れ松葉 窯印

建水

「唐銅 色絵 突羽根 蓋置」金森 彦兵衛

前田利長の時代より代々続く鋳物師です。

蓋置

茶杓 「銘 吉祥 シミ竹茶杓

塩沢 大定(筒箱書)海野 宗泰(造)

塩沢 大定:大本山南禅寺三三四世臨済宗南禅寺派

第十一代管長 平成二十年歿

海野 宗泰:竹器師。高野宗陵に師事 

昭和四十二年京都生

 

水指 「春慶塗 手桶 水指」

品のある水指で、お席にあたたかみも加わりました。

手桶水指

さて、ここ数年頂けずじまいであった、茶道では初釜の行事には

欠かすことができない茶菓子、花びら餅の登場です。

新年に食べるお祝いのお餅で、平安時代宮中で元旦から三日間、

長寿と延命を願って固いお餅を食べる「歯固めの儀式」に

用いられていた「菱葩餅」が由来とか。

和菓子にごぼうは、一見不思議な取り合わせですが、

押鮎に見立てておかれたもの。土の中にしっかり根を張るので

「家の基礎がしっかりしている」ことや「長寿」を願う意味が

込められていて、おせちのお煮しめなどにも使われている

縁起のいい根菜です。

今木屋さん自らお届けくださいました。

朱塗りの「会津塗本朱 四段重」を縁高に見立て

上に黒文字を重ね おそるおそる席まで運びます。

正客は押し頂き、最下段をずらし、黒文字を差し入れ

上の段を一旦脇に置き、自席分を前に置いてから 

お重を戻し、次のお席に渡します。

縁高と違って蓋が丸みを帯びており、

黒文字を落とさぬよう緊張しつつ頂戴いたしました。

 

お重

花びら餅

餅干菓子は 「松露」中森 製

干菓子盆は 「独楽」

一同健やかに、和やかな初釜となりました。

乞巧奠(きっこうでん)の茶会

梅雨明け前からの猛暑が続く中、七夕のお茶会が開かれた。

七夕は五節句のひとつで、縁起の良い「陽数」とされる奇数が連なる

七の夕べに行われるため「七夕の節句」という。

また、笹を用いて行事をすることから、別名「笹の節句」とも。

奈良時代に中国の行事、乞巧奠が伝わると、貴族は庭に祭壇を設けて

供物を供え、梶の葉に和歌を綴ったり、七本の針に五色の糸を通して

裁縫の上達を祈ったり、角盥にはった水に星を映して眺める「星映し」

などを行うようになった。

また、里芋の葉を天帝の水を授かる傘ととらえ、里芋の葉に溜まった

夜露で墨をすって文字を書くと、願いが叶うとされている。

 

「乞巧奠」が七夕の節供に変化していったが、もともとは七夕と書いて

「しちせき」と読んでいたとされる。

七夕を「たなばた」と読むようになったのは、日本古来の

「棚機つ女

(たなばたつめ)」の伝説によるそうだ。

 

寄付 「七夕」阪口 一草

寄付
 
 
 
本床 「名所瀧 山比女の のままに おりいでて 
             はたはり比ろき 布引の瀧」大綱 宗彦
    
 
花はこの暑さで店頭で育てている蓮が開きはじめたため、ご披露することに。
それにあわせて、同じく大綱 宗彦の
 
 「蓮を 誰もみな 蓮にならえ にごり江の 
            にごりにしまぬ 心きよさを」を。

本床

本床 其の一



本床 其の二
 
備前 耳付 花入」人間国宝 金重 陶陽が 大きな葉を
どっしりうけとめてくれた。

 

水指 「ガラス 切箔 水指」
光が反射して 切箔が輝く。

風炉、水指

「虹蒔絵 中棗」坂下 雄峰

虹が茶器に登場するのは珍しく感じるが、今回は虹がかかって晴れて
七夕の出会いがかなうように。
 
蓋置 「染付 七つの傘の内」真葛 香山
 
般若 勘渓「春斎釜添 唐銅 鬼面風炉
神々しいまでの美しさ。
 
茶杓 「銘 清音」
 

「銘 石庭 楽 茶碗」

臨済宗妙心寺派大雲山竜安寺住職

松倉 梅枝 紹英(箱書)島 荷平

楽 茶碗
この時期ならではの涼しげな 「ガラス 茶碗」磯谷 正三
 

がらす茶碗
「色絵露草画 茶碗」相模 竜泉

露草 茶碗

「天の川」製 京都 甘春堂を 手付籠に。
店頭の 葉蘭を敷きたかったが、暑さで彩りが今ひとつであった。
 

主菓子
紙風船」製 金沢高木屋を 竹四方に。
中には思わぬ味が隠されていて 楽しい驚きも。
 

干菓子
来月はお休みとなります。
皆様ご自愛のうえ、夏をお過ごしください。

初風炉

風炉の集いが五月末におこなわれた。

寄り付きには 涼やかなせせらぎが届くような

柳江清風」川合 玉堂

文化勲章。昭和三十二年歿八十四歳 愛知生。

寄付

本床には 「閑雲」遠州流十一世 小堀 宗明

ゆったりと空に浮かぶ雲。

なにものにも束縛されない悠々自適の境遇の

たとえとされている。

出展:『全唐詩話』「僧貫休」閑雲野鶴より

 

香合は「玄々斎好 蜑小舟 あまおふね 香合」小松 幸清

 

海で魚・貝などの漁をする小舟のことを指し、よく和歌などにも

詠まれている。

「世の中は 常にもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも」

漁夫の小舟を見るにつけ思われる、人の世の無常

鎌倉三代将軍 源実朝 百人一首

 

本床

香合

「竹手付 花籠」 功芳斎 には 初風炉ならではの花々を。

蛍袋 未央柳 小判草 露草 小葉の随菜

 

雲龍文 釜」初代 畠 春斎

「唐銅 鬼面 瓶掛」

 

釜 風炉

「鉄線蒔絵 棗」田崎 昭一郎

鉄線の蔓もまた、吉祥に通じるエネルギーが感じ取れる。

水指

「染付網目 水指」加藤 藤城

網目模様は身近な模様として 古来愛されてきた。

じつは縁起がよいとされる吉祥文でもある。

同じ文様をくり返すところから「連続するもの」

「永遠に続くもの」の意味を読みとる。
「網」は福を「からめとる」「すくいとる」ものとして

商いの世界では昔から喜ばれてきた。

 

「銘 清風入梧竹」 油竹 茶杓」成瀬 宗巨

のみ一丁で黙々と削りけして名前を表に出さない謙虚な人柄の持ち主。

花道、書道をよくする。明治三十四年生

 

せいふうごちくにいる

鳳凰は桐に棲み、竹の実を食す

桐と竹を揺らす清風は、鳳凰の飛来のたとえ

梧竹は青桐を指し、鳳凰は梧竹にしかとまらない。

葉が大きく、

その葉が台風の兆しをとらえて揺れる様が 

干ばつをおそれる大陸では神聖な樹とされてきたという。

 

「竹 蓋置」

 

「洲浜紋 三島茶碗 好み六十一の一」蜂谷 宗由

茶道・香道・志野流十九代家元、昭和六十三年没

 

三島茶碗

三島茶碗

白磁蛍手 碗」岡 重利

白磁 蛍手 茶碗

白磁 蛍手 茶碗

陶芸、貫入青磁。金美卒。昭和五十三年金沢市別所町に築窯。

蛍手とは 

透かし彫りをした作品に、透明釉をかけて焼き上げる技法のことをいう。

いったん器面に穴を開けて、釉薬で穴埋めをした状態になる。

蛍手は透かし彫りを応用・発展させた技法ともいえる。

透かし彫りの作例はきわめて古く、一万年以上前の縄文時代まで

遡るとされている。

 

「調布銘菓 多摩川の鮎」今木屋

「竹 網目籠」に水をうった葉を敷き、今にもはねそうな鮎を。

主菓子

「鉄線点彫沈金 干菓子 盆」北浜 一清

 

干菓子盆

干菓子

「万葉の花-撫子」諸江屋 

万葉の花といえば 古来梅をさすが、こちらは季節にあわせて撫子となっている。

金沢の銘菓。

 

関東も梅雨入りを迎えたが、来月はどのような趣向といたしましょうか。

ご紹介の道具、軸類は 蓮でお取り扱いしております。

ホームページからお気軽にお申し込みください。

 

百花繚乱の茶会 平和を願って

世界平和への祈りをこめて、百花繚乱の茶会を

開きました。

寄り付きには 常信斎 「群燕ノ図」を。

寄り付き

本床には 「萬国春」三宅 康高

三河田原藩四代藩主。田原藩三宅家七代。

花開万国春 はなひらきてばんこくのはる

春の爛漫さを象徴し、大雅に限らず好まれてよく揮毫される句。

臨済宗の名のもととなった唐時代の禅僧 臨済義玄の語録

臨済録』の一節

本床 其の二

山の花々を投げ入れた様に、久留米躑躅と白山吹を

油滴天目 花瓶へ 

「昭和百萬塔 香合」大野 可圓

百萬塔とは、天平年間称徳天皇が国家安穏を願って百萬基

作らせたことから、この名がある。

 

釜は「肩七宝 透木釜」佐藤 清光 

炉縁は 高台寺蒔絵

釜、炉縁




藤棚 茶碗

今が見頃の藤の花を 八田 円斎 の茶碗で。

象嵌 蘭 茶碗

伊東 慶 の茶碗では 涼やかな蘭の花を。

 

茶杓は 「銘 吉野 茶杓

西川 楳玄(造)立花 大亀(筒箱書)

 

荒井 正春の 「白漆花筏 棗」

水面に散った花びらが連なって流れていくのを筏に見立てて。

花筏 棗

対州 建水」玖須 朋弘

たいしゅうとは、対馬国の呼び名であったもの。

対馬焼の陶業は大変古く、出土片から遠く新羅百済の時代に土器を作っていた

と推定されている。のちに宗家の先祖がこの島に来た時以来、

桟原(さじきはら)氏が代々土器つくりを継いでいったと伝えられています。

対州 建水」

主菓子

「桜ういろう」菱文 

小田原、名古屋、京都、山口などの名物。

私の好きな和菓子のひとつです。

うるち米、氷砂糖を細かく砕いた物混ぜ、

これをぬれぶきんを敷いた蒸籠(せいろう)の中に、

2センチメートルの厚さになるまでふるい込んで蒸し、

蒸し上げれば白ういろうができます。

室町時代には黒糖を用い、黒糖ういろうが本来のういろう餅で

あったといわれています。

 

「すはま団子」豆政

菓子を切った際の切り口が、海上の島が干潮で砂洲が三方に

現した姿の「州浜」にそっくりだから名付いた由。

京都の茶団子と並ぶ、名物三色団子。

赤・黃・緑色の団子を串に刺したもの。

豆政のものは国産きなこと水飴を使用。

 

「寄木蘭画 丸盆」を干菓子器として。

ここにも花が。

干菓子器

来月は緑がより深まる季節。

どうぞ世界に平安が満ちますことを願って。

 

利休忌

三月利休忌お茶会

利休忌は「茶聖」である千利休の命日に彼の徳を偲んで行う

茶事のことです。

利休の命日は二月の二十八日で、新暦に合わせ3月29日に

集いました。

床に利休の肖像を掲げて献茶をする「供茶」、続いて七事式が

行われるのが恒例となっています。

 

寄付には 宮坂 宥勝「観音像」
名古屋大学名誉教授、智山伝法院院長、
成田山仏教研究所次席研究員、
成田山勧学院教授、真言宗智山派照光寺二十八世住職、
仏画を善くす。

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寄り付き
本床には
高瀬 春暁「利休像」
春挙門、名古屋生
十五代 永楽 善五郎 正全「黃交趾 香炉」
 
新保 喜斎「蝋色 平卓」
「金銅 経筒」
菜の花をお供えいたします。

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本床
二代 茶平 一斎「真台子(関東間)」
 
茶道具専門の塗師、初代の長男、初代のもとで修行し二代目を継ぐ。
「一斎」の号は先代が宗偏流家元から受けたもの。
平成四年二代茶平一斎を襲名。
平成五年石州流十六代片桐貞光宗匠より石州流十職の
塗師に指定。
平成二十五年歿輪島生
 
三代 和気 亀亭「楽 茶入」共箱
 
二代亀亭の子、染め付けの完成は三代の時とする説もある。
文政五年没。

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本床 其の二

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茶入
真塗 中次
 
初代 畠 春斎「雲龍文 釜」共箱 高21×径13.2
 
釜師。釜屋彦兵衛を祖とする釜師の家に生まれる。
明治四十一年生昭和五十六年歿七十三歳高岡の人
 
真塗 炉縁
 

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釜 炉縁

 

 

小堀 明堂「銘 知足 茶杓臨済宗紫野大徳寺五百十九世
 
清水 保孝「油滴天目釉 茶碗」共箱

 

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天目茶碗

三代 佐々木 昭楽「長次郎早舟うつし 赤 茶碗」

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赤 茶碗
西山伯窯「斗々屋 茶碗」共箱
楠部彌弌に師事。
 
 

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斗斗屋 茶碗
十四代 沈 寿官「薩摩 青釉浮彫 菓子鉢」
 

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菓子鉢
 
 

丸市菓子舗 主菓子「斗々屋」

      干菓子「利休古印」

利休が商人として用いていた印鑑を模した干菓子。二種一対となっており、

丸い判が実印「納屋判」、四角い方が認印「竹判」といわれます。

 

今回一番注目された道具がこちら。

尾崎 谷斎「桐 四方 太湖石蘭図 盆」

角彫師、幇間。商家伊勢屋に生まれる。尾崎紅葉の父。

天才肌の角彫師だが、月一個か二個しか作品を作らず、素人の幇間を業とし、

赤羽織谷斎として名を売る。

五番組火消しの組頭からひいきにされ、明治二十七年組頭と、

ステテコ踊りで有名な三遊亭円遊の三人で両国でフグを食べ頓死。

天保六年江戸芝生明治二十七年歿五十九歳

 

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四方盆

 来月は新緑がまぶしい頃となりましょうか。

 

 

雛の茶会

雛祭りを前に雛の道具揃えの茶会を開きました。

寄り付きには
谷 文一 「立雛」
 別号/痴斎/文一郎
江戸後期の画家。江戸薬研堀の医師利光澹斎の子。文晁に師事し、

長女宣子を妻とする。
円山派の写実的画風を取り入れ、山水花鳥を得意とする。
文政元年歿三十二歳

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寄り付き



本床
山岸 久祐「花契千年春」
はなはちぎる せんねんのはる
 
美しく咲く花は、まるで永遠に続く春を約束してくれる

ようである。
のどかな春の日々が未来永劫続くように

臨済宗大徳寺派宗務総長、前大徳寺塔頭総見院住職。

金森 浄栄「唐銅 瓢花入」には
折よく咲いてくれた西王母
侘助を添えて

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本床

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花入

金森紹栄の工房にて茶道具類を制作、日本花器茶器美術工芸展入選


中村 翠嵐「交趾菱
餅 香合」
 本名/正機
 父初代翠嵐に師事。交趾焼陶芸家。茶器を中心に作る。

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香合



初代 畠春斎「高台寺文 政所釜」

若島 孝雄「面青海波 炉縁」

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釜 炉縁
 
茶杓は 此君亭「銘 雪月花」
高取 喜恵「高取焼 菱 水指」

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水指
道場 宗廣 「手桶 茶器」
内側が梨地金で まさにお雛様道具そのもの。
蓋が落ちぬよう、扱いが難しそうでした。
 
蓋置 「ぼんぼり」
 
三代 小川 長楽「赤楽 茶盌」

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赤楽 茶盌
十代 永楽 善五郎 了全「安南写 花唐草 茶碗」

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安南写 花唐草 茶碗
菱形ということで、「仁清写 色絵金銀菱文 重茶碗」

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色絵金銀菱文 黒茶碗

朴葉 金箔散らし銘々皿には もちろん桜餅を。

朱高坏には 菱雷おこし。

高坏の円と菱形が良く映えました。

 

東京では春一番が吹きましたが、まだ気温が下がる日が続きます。

皆様どうぞご自愛ください。