古唐津 名品にふれて

雨が冷気を呼ぶ一日、古唐津の名品にふれて参りました。
(2017.3.26まで http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/
唐津とはなんぞや、をきっちり唱えられるかあやしい部分もありましたので、
あらためて朝鮮王朝時代の陶器が どうやって現在の唐津にたどりついたのか、
順を追っての展示が ありがたかったです。
単純に朝鮮王朝の陶器が変化していったのではなく、経糸緯糸 というとらえ方で
実際作品をみていくうちに、なるほどなーと受け入れることが出来ました。

作品18の朝鮮王朝 粉引茶碗 銘 咄明 は最もひきつけられた一品ですが、
高麗茶碗との違いは?
作品20の桃山 絵唐津草樹文筒茶碗 をみていると はて、志野との違いは?
作品25の黒唐津茶碗 は一見しますと 黒織部とまごうばかり。
朝鮮唐津の華やかさもはじめて知りました。
釉の複雑なかかり具合や、迫力は まさに一瞬の勝負なのですね。
おそらく手にとって五感で観賞できれば、よりよく違いがわかるのでしょうが。

朝鮮渡来の水指の形は、真ん中がふくらんでいて、「算盤玉」とよばれています。
この呼び名だけで形が想像できますね。

作品40 じょじょに現在の唐津でもみられます、特有の錆色 絵唐津松文大皿
大皿の中では一番印象深いものでした。

莨盆でみられる火入等は、食器の向付から発展していいたこと、
食器 茶道具ばかりか、水滴、硯等の文房具や香道具もあったことなど、
大変勉強になりました。

正真正銘の向付もありましたが、とても背が高くて、盛るのも頂くのも
ちょっと難では?
私ならお湯吞にしてしまうかも、とは不謹慎?

作品65の 絵唐津蔓草文茶入の色合い、絵付けの線の美しさといったら!
洗練度合いが増していくのがわかります。

作品76の絵唐津葦文角形花生は形も面白いですが、中央に直線の絵付があるのが、
作品41,42の絵唐津葦文大皿共々、 モダンなデザインに感じられます。

単純な絵付にこそ、趣が感じられる 作品89 金森宗和箱書の 絵唐津ぐりぐり文茶碗。
眺めていてあきない作品でした。
今回初見、発見、作品100〜の天目茶碗は、中国を意識して作られたそうです。

蓮をご贔屓下さいます殿方は、やはり唐津といへば ぐい呑。
作品128の斑唐津ぐい呑などは 殿方の憧れの酒器ではないでしょうか?

後半は現代の名品が並びますが、
川喜多半泥子氏の 絵唐津丸十茶碗ですが、
今回の唐津コレクションの始まりとなった、
桃山の同茶碗を、骨董屋から借り受けて写し作ったものでした。
単純な写しではなく、半泥子の感じた唐津丸十茶碗となっています。

小山富士夫氏の斑唐津茶碗も あたたかみのある作品でした。
その門下の 西岡 小十氏のお茶碗 「唐津 皮鯨 茶碗」は蓮にございます。
こちらの作品を見る前と後では、手に取ってみると、また違った想いを抱いてしまいます。

いろいろ感じる物を得た素晴らしい作品展でしたが、
今回あらためて、朝鮮王朝の陶器の素晴らしさに感じ入った作品展でもありました。
粉引徳利、粉引茶碗
全て見終わって、また戻って魅入ってしまいました。
見飽きることがございません。
日本の唐津では、作品99の筒茶碗が、バランスが素晴らしく感じられました。
私の酒器というならば、
作品124の斑唐津片口と 作品165の斑唐津ぐい呑を。

最後に出光翁の唐津との出会いの絵唐津丸十茶碗ですが、
持ち込まれた当初は 偽物と追い返したそうです。
巷にてもてはやされているものこそ偽物 と返す古美術商。
納得して手元におかれなければ、現在のコレクションは無かったわけです。
翁が敬愛した板谷波山の言葉で 作品展は締められていました。
「もの ものを呼ぶ」

良いと思った名品が、また仲間達を連れてきます様に。
蓮もその想いで 皆様のコレクションのお手伝いを願っております。