開炉の茶会
11月29日の開炉茶会の道具を遅くなりましたがご紹介いたします。
ようやく少人数の集いがかない、三ヶ月ぶりに茶会が再開された。
この時期ならではの名残の茶会。
寄り付きには「干柿画賛」加賀尾 秀忍を。
旭舟「手付 花籠」には、
芒、りんどう、小菊、コスモスなど名残の花々を。
本床には
大綱 宗彦「閑 雲にふす 庵もあきと
世の中に ことなつとり しずきつはなし」
香合は 十二代 田原 陶兵衛「萩 俵 香合」
釜は形がよい「浜松文 尾垂 富士 釜」
「青海波文 やつれ風炉」をかけた。
この時期ならではの、三代 加藤 作助「黄瀬戸 細水指」
黄瀬戸には侘びを基調としながらもあたたかみが感じられる。
茶杓は
蓋置は矢野 鐵山「織部夜学 蓋置」
「唐津 茶碗」
青木 木米「蕎麦釉 茶碗」
主菓子は 今木屋「多摩っ栗」を
宇田川 抱青「白萩 片口 鉢」に。
今が旬の栗の滋味が映える。
写真の掲載がかなわないが、干菓子器には「紙縒 八角盆」
李朝こよりは朝鮮王朝独特の手間と根気を要する手法の
工芸品であるが、軽くて丈夫で使い心地が良い。
干菓子は 伊藤軒「いも納豆」を。
砂糖漬けは好き嫌いが分かれるが、こちらは砂糖が控えめで、
お芋の味わいが濃厚で殿方にも大好評であった。
来月はいよいよ炉開き。
一年がことのほか早く感じられる。
皆様のお茶の集いに私共のお道具がお役にたちますことを願って。
六月末に開いた茶会は螢を愛でるものとして、涼やかな道具が揃った。
寄り付きには 漫画家として、河童ものが有名な
清水 崑の『河童』を。
本床には 歌人、子爵、駿河沼津藩主のち上総菊間藩主となった、
水野 忠敬「田雲螢」を。
夕風の さなへ(早苗)ふ(吹)きしく 千町田に
ひかりかろ(軽)くも とふ螢かな
「銅製 釣舟花生」には 桔梗 紫式部 ハンカチの花。
薄い色合いが涼を招く。
香合は 二代 高木又三「蔦蒔絵 曲香合」
初代高木又三が曲物師より伝授された作品を茶器として取り入れ、
数々の曲物茶器を創出、創業大正7年。
初代大西定林 作 名越 彌五郎(昌次)極書「四方扇面風炉」は
「時代 丸釜」を合わせて。
初代大西定林は江戸中期の釜師、千家十職大西家二代浄清の次男、
浄清とともに古田織部、小堀遠州に従って江戸に赴き、江戸大西家を
茶器は「鉄線 蒔絵 中 棗」
守繁 栄徹「萩 平 茶碗」
三宅 陽春「色絵蛍袋図 茶碗」
聖美「流水文 茶杓」
黒川 哲匠「蝋形鋳造 蟹蓋置」
「染付網目水指」
主菓子はもちろん 今木屋の「水無月」
干菓子はスタッフ手作りの 梅のゼリー菓子です。
薄い青梅色の最中皮を半分ずつ開いて、その上に琥珀糖、梅ゼリーを
美しくのせて。
銘はなんとつけましょう!
来月はお休みです。
八月末にまた元気に集えますように。
五月も終わりの頃、梅雨入り前の長雨の合間、少人数での茶会を開き
ました。寄付掛物は
栗田 寛 「五月雨の 頃にしなれば まかせしと
おもふめ水は ただふるにけり」
短冊掛の色合いも涼しげです。
会沢正志斎、豊田天功に師事、
水戸家「大日本史」編集に参与、東大教授。
水戸学派の史家重鎮。
明治三十二年歿六十五歳
本床には 数寄者の大御所 松永耳庵「流轉是生命 瞬間即久遠」を。
万物は生滅流転、生命は滅び去り、新たな生命が誕生する。
電力界中心的財界人。福澤諭吉の『学問のすすめ』により、慶應義塾
に入学。美術コレクター、茶人としても知られ、
近代小田原三茶人の一人として高名です。
旭舟(氏不詳)「手付花籠」にはみずみずしい額紫陽花を添えます。
今回も参加者にはじめてお花をいけて頂きました。
香合は畑 幸春「杉 傘 香合」
山中塗の作家です。
「古銅 四方風炉」
鉄五徳添・獅子耳・箱書有れど不詳・江戸期のものとされています。
大きさがちょうどよく、室内でも存在間にみちた美しい風炉です。
画像は銀瓶ですが、
久世 宗春「片輪車 蒔絵 瓢 茶器」
蓋置
竹師 守(造)藤田 寛道(筒箱書)
「銘 草笛 茶杓」
「南京 龍染付 茶碗」
塗師 淡斎「赤 平 茶碗」
高6×径14.9
武蔵野窯、名工なり、茶陶を能くす。洋画家日展評、塗師祥一郎の父、
また唐津の井上東也の師。石川県小松生埼玉住
平茶碗にしては大きめで、殿方の手にちょうどよく収まり、好評でした。
熱さも感じさせず気に入りました。色はとても深みがあります。
主菓子は 今木屋さんで スタッフがデザインしたものを作ってもらい
ました。
練切の青楓に雨のしずくが光っております。
銘は「緑雨」
お運びするのは「欅 金彩 銘々皿」
とても素敵なお皿です。
懐紙から水が伝わりそうで、一枚敷いております。
天正年間創業 熊本園田屋「朝鮮飴」
こちらは江戸時代より受け継がれる熊本県の伝統銘菓です。
餅米と水飴、砂糖を独自製法でこね合わせ、長方形に切り出し、
片栗粉をまぶしてあります。
上品な甘さでお変わり所望がありました。
銘は 長生飴 肥後飴ともいわれていましたが、加藤清正が
朝鮮出兵時持参し、味の変化も無く日持ちする美味しい保存食として
絶賛したことから、この愛称となったそうです。
明治には大久保利通も好んで食べたとか。
既に真夏の暑さを迎えていますが、次回はどの趣向となります
でしょうか?
皆さまお気を付けてお過ごしください。
最後に集ったのが昨年となり、久々のお茶会を開きました。
今回はお釈迦様の誕生を祝う仏教行事、誕生会(たんじょうえ)
灌仏会を一同でお祝いをいたしました。
四月八日に各地で開かれますが、
降誕会(ごうたんえ)仏生会(ぶっしょうえ)浴仏会(よくぶつえ)
龍華会(りゅうげえ)花会式(はなえしき)花祭灌仏会(かんぶつえ)
の別名があります。
花祭り というのが身近でしょうか。
灌仏会の「灌」は、「そそぐ」という意味。
この日に寺院を訪れますと、お釈迦さまの像に甘茶を注ぐのを目に
された方もいらっしゃると思います。
このときの像は「誕生仏」と呼ばれるもので、すっくと立った
お釈迦さまが右手で天を指さしています。
「天上天下唯我独尊」
お寺によっては白い象が登場します。
お釈迦様の生母はマーヤー(摩耶)夫人。
摩耶夫人は、釈迦族の王・シュットーダナ(浄飯)の妃ですが
子宝に恵まれませんでした。
ある日、天から白象が降りてきて、自分の右脇から胎内に入る
夢を見て懐妊されたと言われています。
産まれた王子はシッダールタ(悉達多)と名付けられました。
その名には、一切の願いが成就したという意味がありましたが
摩耶夫人は悉達多を産んで七日後に亡くなってしまわれます。
摩耶夫人が見た夢は
「世界中の人々を救う偉大な王子が生まれる」
というお告げでもありました。
仏教国のタイでは、象を神聖化して、中でも白い象は釈迦の
化身とされています。
日本でもこの日は、紙の張り子の象を、お釈迦さまの像を
背中に乗せて、お稚児さんたちと街を行進するところも
あるようです。
蓮では 大理石の白象の親子像を寄り付きに。
軸は 平山郁夫 木版「天女」散華色紙を。
毎春誕生会に本床にかかるお軸は
東皐 心越(とうこう しんえつ)の「誕生仏」です。
俗姓/蔣、名/兆隠のちに興儔、字/心越、号/東皐、別号/樵雲/越道人
江戸初期の渡来僧。長崎興福寺に入り、水戸光圀に迎られ水戸天徳寺に住す。
水戸祇園寺、高崎少林山達磨寺開山。
古琴は日本の琴楽の中興の祖、篆刻は独立とともに日本篆刻の祖と
される。元禄七年歿五十八歳
誕生仏象に、各自甘茶をおかけしてお祝いいたします。
「昭和百萬塔 香合」を添えます。
花は桜の枝を。
釜は 佐藤 浄清「尾上釜」
尾上釜(おのえがま)は、茶の湯釜の形状のひとつで、釣鐘形で
鋳出した釜です。
萩谷 勝房「是和庵 鐶」添。
水戸山崎勝久 弟 勝茂門、慶應四年歿七十余歳
炉縁は「古材 炉縁」
「時代 竹 自在」
薄器はこの時期ならではの 花筏
散った桜の花びらが水面に浮き、連なって流れていく様を指します。
その花びらの動く様子を筏(いかだ)に見立てたといわれます。
また、筏に花の枝などを添えたものや、散った花びらが筏にふり
かかった
ものなども、花筏という言葉で表現されています。
初代 稲井 玉甫「花筏 棗」
明治から昭和初期に活躍した漆芸家。鈴木玉船門。陶器に見える
漆器捜し陶器の白釉を再現した白漆見つけ、
歴代これを得意とす。
大正十三年六趣園に参加など、変塗りや伝統的な蒔絵など
高度な
幅広い技術を持つ。
「火舎(ほや)蓋置」
火舎のついた小さな香炉を蓋置に見立てたものです。
火舎は、火屋・穂屋とも書き、香炉・手焙・火入などの上におおう
蓋のことで、蓋のついた香炉のことを火舎香炉と呼びます。
火舎蓋置は、七種蓋置のうち、最も格の高いものとして扱われ、
主に長板や台子で総飾りをするときに用います。
『源流茶話』に「ほや香炉と申候ハ、いにしへ唐物宝形つくりえ
香炉の蓋を翻し、釜のふた置ニ見たて、袋をかけ、真の具に被定候、
ほやとハ蓋宝形つくりなれは也」、
『茶道筌蹄』に「火屋 ホヤ香爐をかり用ゆ」とあります。
『南方録』に「穂屋 天子四方拝の時、用玉ふ香爐といへり、
さまによりて蓋置に用る時も、殊外賞翫の一ツ物なり、
草庵に用たる例なし、
袋棚以上に用、手前の時、賞翫の置所等秘事口傳」とあります。
茶碗もこの時期ならでは。
杉田 祥平(造)立花 大亀(箱書花押)「色絵仁清桜花画 茶碗」
「呉器 茶碗」
「呉器 堅手 茶碗」
高麗茶碗の一種で、李朝初期から中期にかけて慶尚南道の金海窯で焼かれたと
されています。堅手の名前は、素地や釉や手触りが堅そうなところに由来する
といわれています。
堅手の本手は、大振りの椀なりで、懐が広く、灰白色の半磁器質の素地に、
白がかった淡青色の釉を総掛けしてあります。
堅手茶碗には「古堅手(こかたで)」「雨漏(あまもり)堅手」「鉢の子」
「金海(きんかい)堅手」などがあります。
天女が着て、空中を自由に飛行するといわれる衣ですが、こちらも
インドの伝説が発祥といわれております。
加藤 民吉「尾張焼 瑠璃 手付 水指」
鮮やかな水指です。
吉左衛門景遠の次男、肥前の染付磁法を伝え瀬戸の陶祖と讚えらる、
尾張藩勘定奉行より下付された「楕円に尾張」の銘は享和年間の使用。
この誕生会での主菓子は
インド菓子 ラスゴーラ(Rasgulla)です。
乳蛋白をレモンや酢、乳清を使って凝固させたチェーナー(Chhena)に、
重しをして水切りしてセモリナ粉を加え団子状にて茹でます。
これをラスゴーラ(Rasgulla)と言い、同類にチャムチャム(Cham Cham)
があります。
店主の大好物で、インドでは鉢を抱えて食べたと言われております。
銀のボールに小分けして スプーンですくって頂きます。
取り忘れて頂いてしまいましたので、ネット画像をご参考までに。
干菓子は 高坏 木地菓子器に 京都のミルク金平糖を盛って。
早くも新緑がまぶしいこの頃、
次回も無事集えますよう。
一気に秋めいた日に炉開きをいたしました。
今年は炉の季節の短さにとまどいを覚えましたが、こうやって無事集いがかない、
心新たに炉でたてるお茶を味わえますことに、ありがたさを感じております。
寄り付きには 大田垣 蓮月の短冊を
「冬山家 ほしがきの軒にやせゆく山里のよあらし寒くなりにけるかな」
本床には 春見 文勝「紅葉舞秋風」
花はようやく咲き始めた 侘助を一重切 竹花入に。
先月より 集った方々にさして頂く趣向に。
初体験の殿方曰く、(用意された全ての花-白侘助,南天照り葉,磯菊、嵯峨菊)を
さしたい!というお気持ちをおしとどめ、先月担当のKさんがアドバイザーとなって
下さり、かように立派なものとなりました。
香合は、吉田 仙萩「萩 松毬 香合」
鈴木 盛久「布団 釜」
茶平 一斎 「真塗 炉縁」
高野 昭阿弥「染付蜜紺 水指」が華やぎを与えてくれます。
谷村 丹後(造)立花大亀(箱書花押)「銘 聴松 茶杓」
お薄は 大樋年郎「長之字 安南 茶碗」
こちらは初期の作品とあって、珍しいと人気でした。
石井 不老「赤楽 茶碗」は
ぽってりと手にあたたかみが感じられる色合いです。
清閑寺窯「色絵六瓢 蓋置」
こちらも品があり、炉開きにふさわしい蓋置かと。
お約束の猪子餅は、成城あんやでお取り寄せ。
「南蛮金箔散 菓子器」がまた調和を与えてくれます。
次回は、年明け末日にみなさんお元気で再会を願いつつ。
蓮のカタログは 一月十一日頃よりお手元に届く予定でおります。
現在ばりばり作成しております。
皆様よい年末年始をお迎えくださいますよう。