有田焼 泉山陶石へ

蓮の夏期休暇中に、ご縁があり、佐賀県の上有田・有田焼の窯をお尋ねして様々なものを見せて頂きました。今回は旅の1部を少しだけ記事にしたためます。

上有田の町、窯はもちろん、様々な有田焼をみることができました。
伝統的な有田焼から現代的なデザインの焼き物まで。ふむふむ。

そして有田の方に、日本初の磁器を生んだ有田焼の原材料として使われていた、有田町の東端にある「泉山陶石」磁石場に連れて行って頂きました。
JR上有田駅から車で数分の距離です。

「泉山陶石」

手前に「陶工之碑」、奥の石碑には 「李参平発見之磁鉱地」 と刻まれています。

1616年日本初の磁器を生んだ有田焼。
鍋島軍が朝鮮から連れ帰った陶工・李参平(日本名は金ヶ江三兵衛)の「泉山陶石」の発見によって今までの有田焼の歴史が始まりました。

近くに立ってみましたがとんでもないスケールです。
猿の惑星かと思いました。

現在は危険のため立ち入り禁止になっておりこれ以上は進めませんが、昔は採掘の穴の中まで入れたそうです。
江戸時代、良質の泉山陶石は皿山代官所によって厳しく管理統制されており、もっとも上質な物は御道具山(鍋島藩窯)が使用し、それ以外の陶石を内山、外山などの窯焼きが購入する場合は等級の区別がありました。

現在では、大量生産などの理由から日本の陶磁器の8割ほどは天草陶石で作られています。
しかし泉山陶石を使った有田焼をよみがえらせようという試みが進んでいるようです。

「400年をかけてひとつの山を焼き物に変えた」の迫力です…

有田焼レポートは次回のブログにも続きます!